玉川上水緑道 

英名   
地番  東京都 福生市〜小平市〜杉並区 
設置者  
管理者  東京都
交通手段  
URL  https://musashinoparks.com/kouen/tamagawa/ 

玉川上水 
小平監視所(旧小平水衛所,立川市幸町六丁目)附近  2004/06/24 旧小川水衛所(小平市上水本町二丁目)附近 2021/04/20
 江戸時代の水番所は、明治以降 名を水衛所(衛視所)と改められた。小川水衛所は1894小川水番所を改名、1980廃止。
 「玉川上水」は、かつて江戸・東京に飲用水を供給していた素掘りの水路、1653年に完成した。羽村市の取水堰で多摩川の水を取り込み、武蔵野台地の尾根筋を通し、四谷大木戸(現新宿区四谷4丁目交差点)まで全長43km弱に水を通した。旧幕時代、その水質保全のため上水沿い両縁各三間(約5.4m)の自然を保護したため、自ずと緑地帯が形作られた。八代将軍徳川吉宗治世下の1737年、両側の緑地帯に、大和吉野など各地から桜(ヤマザクラ)の名品が移植され、やがて「小金井桜」として、江戸時代後期には周辺随一の桜の名所となった。
 明治時代に入っても「玉川上水」は上水として利用され続け、1898年からは淀橋浄水場に給水した。また1889年甲武鉄道
(現JR中央線)が開通すると、境(現武蔵境)と国分寺(現国分寺)を最寄りの停車場として、「小金井桜」の花見客でにぎわった。1924年、境橋(武蔵野市桜堤一丁目)から旧小川衛視所跡(小平市上水本町二丁目)までの約6kmの桜並木が、国の名勝に指定された。 
 しかしながら、1965年の淀橋浄水場廃止とともに小平監視所より東は上水道としての使命を終え、これより一部が暗渠化され、あるいは通水が止められるなどのことがあった。1973年東京都は「玉川上水みどり化計画」を作成、上水両側の遊歩道を整備。1985年には清流復活事業として、東京都流域下水道「多摩川上流処理場」
(昭島市)の再生水を小平監視所以東に放流、量は減ったものの「玉川上水」に水の流れが戻った。復活した「玉川上水」は、1999年には東京都の「歴史環境保全地域」に、2000年には全国の「甦る水百選」に、2003年には国の「史跡」に選ばれ、あるいは指定された。
 今日、福生市平和橋
(拝島駅前)から杉並区浅間橋(久我山二丁目)に至る約24kmの間の遊歩道は「玉川上水緑道」と呼ばれ、東京都建設局公園緑地部により管理されている。

玉川上水緑道
2021/03/24  2021/04/03
 2021/04/07 2020/05/14 
2020/11/17 2021/12/02
 
 筆者は小平市民なので、近所の玉川上水はよく散歩します。
 このあたりの玉川上水緑道の植生は、基本的には武蔵野の雑木林です。ケヤキエノキムクノキアカシデイヌシデコナラクリクヌギヤマザクライヌザクラミズキコブシオニグルミなどの落葉高木に、イロハカエデウグイスカグラガマズミイボタノキムラサキシキブウツギコゴメウツギガクウツギマユミニシキギコマユミツリバナゴンズイアカメガシワヤマブキヤマグワヒメコウゾノイバラモミジイチゴクマイチゴなどの落葉低木、シロダモユズリハヒサカキアオキネズミモチイヌツゲツバキヤマウコギなどの常緑樹が混り、そこにツルウメモドキサネカズラテイカカズラツタフジノブドウなどの藤本が絡みます。
 草花は、早春はタチツボスミレから始まり、アマナフデリンドウニリンソウヒメウズシュンランフタリシズカチゴユリホウチャクソウキランソウ、春深まるとキンランギンランスイカズラニガナチガヤアヤメナワシロイチゴと花開いて一段落。やがてノビルホタルブクロヤマホタルブクロアカショウマノアザミオカトラノオノカンゾウヤブカンゾウノハラアザミタカトウダイチダケサシヤマユリなどがさいて夏たけなわを迎えます。秋が訪れると、アキノタムラソウナンテンハギクズノコンギクユウガギクシラヤマギクアキカラマツハギススキワレモコウセンニンソウカラスノゴマスズメウリヒヨドリジョウゴシオデなどが目を楽しませてくれます。
 野川公園自然観察園田島ケ原などのような本格的な自然保護園の草花の豊かさには及びもつきませんが、上記のような草木に芽が出た、花が咲いた、実が着いた、葉が色づいたと親しむことは、わくわくする楽しみであることに間違いなく、コロナ渦で巣籠りしている昨今、心を癒してもらっていることです。(2021/05/18記)

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