辨 |
コナラ属 Quercus(櫟 lì 屬) コナラ亜属 subgen. Quercus(櫟 lì 亞屬)の植物については、Quercus を参照。 |
訓 |
ドングリとは、本来クヌギの実を言うという。
ドングリの別名は、地方によりシダミ、ジザイ、ジダングリ、ジダンボウ、ズンダ、ズンダグリなど多様。ドングリに団栗の字を当てるのも、正しいものかは不明。 |
クヌギ・ツルバミの語源について諸説がある。『日本国語大辞典 第二版』のそれぞれの項を参照。 |
『倭名類聚抄』に、釣樟は「和名久沼木」と、また挙樹は「和名久沼木」「日本紀私記云、歴木」と。橡は「和名都流波美」と。また櫟子は「和名以知比」、櫟梂は「和名以知比乃加佐」と。
小野蘭山『本草綱目啓蒙』26 橡実に、「ツルバミ和名鈔 ドングリ ジザイ但州 ジダンボウ上州 ジダングリ信州、以上実ノ名 クヌギ クノギ クニギ豫州 ウツナ同上 マキ備中 シダミ奥州 ジザイガシ但州 ウバボウ摂州、以上木ノ名」と。 |
漢名橡(ショウ,xiàng)・杼(ショ,shù)には二義があり、一はクヌギ、一はトチノキ。 |
説 |
本州(岩手山形手南)・四国・九州・琉球・朝鮮・遼寧・華北・華東・兩湖・兩廣・西南・インドシナ・ヒマラヤに分布。 |
誌 |
『爾雅』釈木に、「栩(ク,xŭ)は、杼(ショ,shù)なり。〔柞(サク,zuò)樹なり。○栩は香羽の切、杼は省汝の切。〕」と。
柞は、ナラの仲間の総称。 |
賈思勰『斉民要術』(530-550)巻5に「種槐・柳・楸・梓・梧・柞」が載る。 |
日本では、薪炭材、椎茸栽培のほだ木。
団栗の笠の煮汁で染めた色を橡(つるばみ)といい、黒に近い灰色、古代の衣服令では家人・奴隷など身分の低い人が着る衣の色。また喪服に用いた。平安時代には茜(あかね)を加えて、4位以上の袍の色。 |
日本では、生薬ボクソク(樸樕)は クヌギ、コナラ、ミズナラ又はアベマキの樹皮である(第十八改正日本薬局方)。 |
『日本書紀』巻7 景行天皇18年の条に、「秋七月の辛卯の朔甲午に、筑紫後国(つくしのくにのみちのしりのくに)の御木(みけ)に到りて、高田行宮(かりみや)に居(ま)します。時に僵れたる樹(き)有り。長さ九百七十丈。百寮(つかさつかさ)、其の樹を踏みて往来(かよ)ふ。時人(ときのひと)、歌(うたよみ)して曰はく、
あさしも(朝霜)の みけのさをばし(小橋)
まへつきみ(群臣) いわた(渡)らすも みけのさをばし
爰(ここ)に天皇(すめらみこと)、問ひて曰はく、「是何の樹ぞ」とのたまふ。一の老夫(おきな)有りて曰さく、「是の樹は歴木(くぬぎ)といふ。嘗(むかし)、未だ僵れざる先に、朝日の暉(ひかり)に当りて、則ち杵島山(きしまのやま)を隠しき。夕日の暉に当りては、亦、阿蘇山(あそのやま)を覆(かく)しき」とまうす。天皇の曰はく、「是の樹は、神(あや)しき木なり。故(かれ)、是の国を御木の国と号(よ)べ」とのたまふ」とある。巨木伝説にかこつけた、地名起源説話。
『同』巻11 仁徳天皇58年5月に、「荒陵(あらはか)の松林(まつばら)の南の道に当りて、忽(たちまち)に両(ふたつ)の歴木(くぬぎ)生ひたり。路を挟みて末は合へり」とある。連理の木は 瑞祥。 |
『万葉集』に、
橡(つるばみ)の 衣は人皆 事無しと いひし時より 服(き)欲しく念ほゆ
(7/1311,読人知らず)
橡の 解濯衣(ときあらひぎぬ)の 怪しくも 殊に服欲しき この暮(ゆふべ)かも
(7/1314,読人知らず)
橡の 衣(きぬ)解き洗ひ まつち(真土)山 もとつ人には 猶如かずけり
(11/3009,読人知らず)
橡の 袷の衣 裏にせば 吾強いめやも 君が来まさぬ (11/2965,読人知らず)
橡の 一重の衣 裏も無く あるらむ児ゆゑ 恋ひ渡るかも (11/2968,読人知らず)
くれなゐ(紅)は うつ(移)ろふものそ つるはみ(橡)の
な(馴)れにしきぬ(衣)に なほし(若)かめやも (18/4109,大伴家持)
|
櫟の、冬葉のかげをくぐり居りし禽の羽色はふと見えにけり
(島木赤彦『馬鈴薯の花』)
冬の日のかたむき早く櫟原(くぬぎはら)こがらしのなかを鴉くだれり
(1915,斉藤茂吉『あらたま』)
|