辨 |
日本人が 伝統的・民俗的に桑を区別した中に、山桑(やまぐわ)と島桑(しまぐわ)がある。
山桑は、山に自生する桑の意で、中国から入って里に栽培する真桑(マクワ M. alba)に対して在来の桑を言う。日本・朝鮮・樺太に分布する。
島桑は、琉球の桑の意で、日本では九州南部・琉球に分布する。
かつて、このふたつをヤマグワ M. bombycis とシマグワ M. australis として植物学上も区別したが、今日では両者をヤマグワ
M. australis として一種にまとめる。 |
マグワと ヤマグワの違いは、マグワの辨を見よ。 |
クワ属 Morus(桑屬)については、クワ属を見よ。 |
訓 |
和名を柘(つみ)というものはヤマグワだが、漢名を柘(シャ,zhè;柘樹・柘桑)というものは クワ科別属のハリグワ。 |
『倭名類聚抄』柘に「漢語抄云豆美」と。
小野蘭山『本草綱目啓蒙』32 に、柘は「ヅミ和名鈔 ヤマグハ ノグハ大和本草 イヌグハ同名アリ」と。 |
種小名 bombycis は「蚕 bombyx の、絹の」。australis は「南の」。 |
説 |
北海道・本州・四国・九州・琉球・朝鮮・臺灣・華東・兩湖・兩廣・西南・チベット・陝甘・河北・遼寧・千島・樺太・インドシナ・ヒマラヤ・インドに分布。 |
誌 |
養蚕とクワについては、マグワを見よ。 |
日本古代の神婚説話に、柘枝の仙女(つみのえのやまひめ)の伝説(「柘枝伝」)があったことが知られている。すなわち、吉野にうましね(味稲・美稲・能志祢)という男が居り、吉野川に梁をしかけて鮎を取って生業としていた。ある日、柘(つみ、ヤマグワ)の枝が流れてきて梁にかかったので、家に持って帰って置いておいたところ、それが美しい女に変った。そこで夫婦となったが、年を取ったり死んだりすること無く、後に常世の国に飛び去った、という。
『万葉集』には、
この夕(ゆふべ) 柘のさ枝の 流れ来ば 梁は打たずて 取らずかもあらむ
(3/836,読人知らず)
古に 梁打つ人の 無かりせば 此間(ここ)も有らまし 柘の枝はも (3/387,若宮鮎麿)
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『日本書紀』11仁徳天皇30年、天皇は皇后磐之姫(いはのひめ)が紀伊に出かけている留守に八田皇女を宮中に召し入れた。皇后は怒って、そのまま都には帰らず山城に住み着いた。「十一月の甲寅の朔庚申に、天皇(すめらみこと)、浮江(かはふね)より山背(やましろ)に幸(みゆき)す。時に桑の枝(き)、水に沿(したが)ひて流る。天皇、桑の枝を視(みそなは)して歌(うたよみ)して曰(のたま)はく、
つのさはふ いはのひめが
おほろかにきこ(聞)さぬ うわぐは(末桑)のき(木)
よ(寄)るましじき かは(河)のくまぐま(隅々)
よ(寄)ろほひゆ(行)くかも うらぐはのき」 |
『万葉集』に、
たらちねの 母がその(園)なる 桑すらに 願へば衣に 着すとう物を (7/1357,読人知らず)
・・・明け来れば 柘のさ枝に 暮(ゆふ)去れば 小松の末(うれ)に・・・
(10/1937,読人知らず「鳥を詠む」)
筑波ね(嶺)の にひぐわ(新桑)まよ(繭)の きぬ(衣)はあれど
きみ(君)がみけし(御衣)し あやにき(着)ほ(欲)しも (14/3350,東歌)
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さみだれや蚕煩ふ桑の畑 (芭蕉,1644-1694)
椹(クハノミ)や花なき蝶の世すて酒 (同)
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