辨 |
ケヤキ属 Zelkova(欅 jŭ 屬)には、アジアに4-6種がある。
Z. schneideriana(欅樹・大葉欅)
ケヤキ Z. serrata(欅樹・光葉欅)
Z. sinica(大果欅・小葉欅)
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ニレ科 Ulmaceae(楡 yú 科)については、ニレ科を見よ。 |
訓 |
『倭名類聚抄』槻に「和名豆木乃木」と。
小野蘭山『本草綱目啓蒙』31 に、欅は「ケヤキ」と。 |
説 |
本州・四国・九州・臺灣・華東・山東・河南・秦嶺・兩湖・大連に分布。 |
武蔵野にケヤキが多いのは、江戸時代に植栽を奨励した名残という。 |
誌 |
材は狂いがないので、建築・船舶・車両・機械・楽器・彫刻・盆などに、とくに社寺の構造材や大黒柱に用いる。
埼玉県・福島県・宮城県の県木。 |
日本の古代には、材で弓を作った。
をちかた(彼方)の あららまつばら(松原)
まつばら(松原)に わた(渡)りゆ(行)きて
つくゆみ(槻弓)に まりや(矢)をたぐ(副)へ
うまびと(貴人)は うまびと(貴人)どちや
いとこ(親友)はも いとこ(親友)どち
いざあ(闘)はな われ(我)は
(『日本書紀』巻9 神功皇后摂政元年3月の条、戦闘の歌。まり矢は、先の丸い鏑矢)
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『日本書紀』によると、法興寺(飛鳥寺。奈良県高市郡明日香村)にあった大きなケヤキの下では、さまざまな行事が行われ、またさまざまな事件が起った。
巻24皇極天皇3年(644)正月の条に、中臣鎌子連(なかとみのかまこのむらじ。後の中臣鎌足)は、「偶(たまたま)中大兄(なかのおほえ)の法興寺の槻の樹の下に打毱(まりく)うる侶(ともがら)に預(くはは)りて、皮鞋(みくつ)の毱(まり)の随(まま)脱け落つるを候(まも)りて、掌中(たなうら)に取り置(も)ちて、前(すす)みて跪きて恭(つつし)みて奉る。中大兄、対(むか)ひ跪きて敬(いや)びて執りたまふ。玆(これ)より、相(むつ)び善(よ)みして、倶に懐(おも)ふ所を述ぶ」と。
巻25大化元年(645)6月、「乙卯(19日)に、天皇(すめらみこと。孝徳天皇)・皇祖母尊(すめおやのみこと。皇極天皇)・皇太子(ひつぎのみこ。中大兄皇子)、大槻の樹の下に、群臣(まへつきみたち)を召し集めて、盟曰(ちか)はしめたまふ」と。
巻28天武天皇元年(672)6月29日、「爰(ここ)に留守司高坂王、及び兵(つはもの)を興す使者(つかひ)穂積臣百足(ほづみのおみももたり)等、飛鳥寺の西の槻の下に拠りて営(いほり)を為(つく)る。・・・爰に百足、馬に乗りて緩(やうや)く来る。飛鳥寺の西の槻の下に逮(いた)るに、人有りて曰はく、「馬より下りね」といふ。時に百足、馬より下るること遅し。便ち其の襟(きぬのくび)を取りて引き堕して、射(ゆみい)て一箭(ひとさ)を中(あ)つ。因りて刀を抜きて斬りて殺しつ」と。
巻29天武天皇6年2月に、「是の月に、多禰嶋人(たねのしまびと。種子島の人々)等に飛鳥寺の西の槻の下に饗(あへ)たまふ」と。
巻30持統天皇2年12月に、「十二月乙酉朔丙申に、(蘇我)蝦夷(えみし)の男女二百十三人に飛鳥寺の西の槻の下に饗(あへ)たまふ。仍(よ)りて冠位(かうぶりくらゐ)を授けて、物賜ふこと各(おのおの)差(しな)有り」と。 |
『万葉集』には、
・・・ はしり出の 堤に立てる 槻の木の こちごちの枝の 春の葉の 茂きが如く・・・
・・・ 出で立ちの 百え槻の木 こちごちに枝させる如 春の葉の 茂きがごとく・・・
(2/210;213,柿本人麻呂)
・・・ 春されば 殖槻(うゑつき)がうえの ・・・
(13*3224,読人知らず)
・・・ 九月(ながづき)の ・・・ かむなび(神名火)の ・・・
百足らず 五十槻(いつき)が枝に みず(瑞)枝指す秋の紅葉 ・・・
手弱女に 吾は有れども 引き攀じて 峯もとををに
ふさ手折り 吾は持ちて往く きみが頭刺(かざし)に
反歌
独りのみ 見れば恋しみ 神名火の 山の黄葉を 手折りけり君
(13/3223;3224,読人知らず)
速く来ても 見てまし物を 山城の 高の槻村 散りにけるかも (3/277,高市連黒人)
池の辺の 小槻が下の 細竹(しの)な苅そね
其れをだに きみ(君)が形見に みつつ偲はむ
(7/1276,読人知らず)
長谷(はつせ)の ゆ槻が下に 吾が隠せる妻
あかねさし 光(て)れる月夜に 人見てむかも
(11/2353,読人知らず)
天飛ぶや 軽の社の 斎槻(いはひつき) 幾世まで有らむ 隠妻(こもりづま)そも
(11/2626,読人知らず)
春の芽生えや秋のもみじが愛でられ、植えられもしたこと、寺社に植えられた大木は、妻を隠してくれるほどであったこと、などが知られる。 |