ふじ (藤) 

学名  Wisteria floribunda
日本名  フジ
科名(日本名)  マメ科
  日本語別名  ノダフジ(野田藤)、マツミグサ、マツナグサ、ムラサキグサ、サカタノハナ
漢名  多花紫藤(タカシトウ,duohua ziteng)
科名(漢名)  豆(トウ,dou)科 
  漢語別名  藤(トウ,teng)、藤蘿(トウラ,tengluo)、朱藤(シュトウ,zhuteng)、日本紫藤(ニホンシトウ,ribenziteng)
英名  Japanese wisteria(wistaria)
2009/04/16 入間市宮寺
2004/04/23 跡見学園女子大学新座キャンパス
2005/05/26 学内 2004/07/03 学内

2004/11/24 学内

2007/12/26 所沢市本郷
自然の蔓
2006/04/24 三芳町竹間沢 2006/08/13 神代植物公園

 フジ属 Wisteria(紫藤屬)には、次のようなものがある。
   ヤマフジ W. brachybotrys 
蔓は左巻。本州近畿以西・四国・九州に自生
     var. alba(W.venusta;白花藤蘿)
   フジ
(ノダフジ) W. floribunda(多花紫藤・藤・藤蘿・朱藤) 蔓は右巻
   アメリカフジ W. frutescens
米国(バージニア乃至フロリダ)に分布
   ナツフジ W. japonica(Millettia japonica)
   シナフジ W. sinensis(紫藤・藤花・葛藤・葛花・藤蘿樹)
         
中国産、蔓は左巻。『雲南の植物』131・『中国本草図録』Ⅳ/1706。
   W. villosa(藤蘿) 
 マメ科 LEGUMINOSAE(FABACEAE;豆科)については、マメ科を見よ。
 そのマメ亜科 Papilionoideae(Faboideae;蝶形花亞科)乃至マメ科 Papilionaceae(Fabaceae;蝶形花科)については、マメ亜科を見よ。
 和名フジ(旧仮名使いではフヂ)の語源は不明。
 ノダフジの野田は、摂津国西成郡野田、ここにノダフジの名所があったことから。1364年足利義詮が、1594年豊臣秀吉がこのふじを見物したという
(『藤之宮由来略記』)
 深江輔仁『本草和名』(ca.918)狼跋子に、「和名布知乃美」と。
 源順『倭名類聚抄』
(ca.934)藤に、「和名布知」と。
 小野蘭山『本草綱目啓蒙』14下(1806)藤に、「フヂ サノカタノハナ
古歌 ムラサキグサ マツミグサ フタキグサ マツナグサ共ニ同上」と。
 漢名の藤は、蔓性の植物の総称、日本語の「かずら」に当る。
 そのうち、シナフジ W.sinensis を紫藤といい、藤と略称する。
 属名 Wisteria は、アメリカの解剖学者ウィスター Caspar Wistar(1760-1818)を記念して。
 したがって 本来 Wistaria と綴るべきものだが、慣習的に Wisteria とする。
 本州・四国・九州の山地・平地に自生。古くからよく観賞用に栽培され、多くの品種がある。
 ヨーロッパ・アメリカには、1830年に入る。
 フジの花は、古くから観賞された。
 『万葉集』に詠われた歌は、文藝譜を見よ。いくつか挙げれば、

   藤浪の 花は盛りに 成りにけり
     平城京
(ならのみやこ)を 御念(おも)ほすや君 (3/330,大伴四綱)
   恋ひしけば 形見にせむと 吾が屋戸に
     殖ゑし藤波 今開
(さ)きにけり (8/1471,山部赤人)
   霍公鳥 来鳴き響
(とよも)す 岡辺なる 藤波見には 君は来じとや
      
(10/1991,読人知らず)
   ふぢなみの しげ
(繁)りはす(過)ぎぬ あしひきの
     やま
(山)ほととぎす などかき(来)(鳴)かぬ (19/4210,久米広縄)

    
(天平勝宝2年4月)十二日、布勢の水海に遊覧し、多祜(たこ)の湾に
    船泊して、藤の花を望み見て各々懐を述べて作る歌四首
   藤なみの 影なす海の 底清み しづく石をも 珠とそ吾が見る
       (19/4199,大伴家持)
   多祜の浦の 底さへにほふ 藤なみを かざして去
(ゆ)かむ 見ぬ人の為
       
(19/4200,内蔵忌寸縄麿)
   いささかに 念ひて来しを 多祜の浦に 開ける藤見て 一夜経ぬべし
      
(19/4201,久米広縄)
   藤なみを 借廬
(かりほ)に造り 湾廻(うらみ)する
      人とは知らずに 海部
(あま)とか見らむ (19/4202,久米継麿)

 「ふぢなみ(藤波・藤浪)の」は、(思ひ)まつはり、ただ一目、たつなどにかかる枕詞。

   かくしてそ 人は死ぬと云ふ 藤浪の 直(ただ)一目のみ 見し人故に
       
(12/3075,読人知らず)
 
 フジは、また、蔓を綱・縄として用い、各種の細工物に用い、蔓の繊維から藤布を織った。『古事記』中に、次のような神婚譚が載る。
 美しい伊豆志袁登売(いづしをとめ)神には、八十神が求婚したが、果せなかった。秋山之下氷壮士(あきやまのしたびをとこ)と春山之霞壮士(はるやまのかすみをとこ)という兄弟の神がいた。兄は、伊豆志袁登売を求めたが得られなかった。そこで、今度は弟がこのおとめを得ることができるかどうか、兄弟神は賭けをした。
 「爾に其の弟、兄の言ひしが如く、具さに其の母に白せば、即ち其の母、布遅
(ふぢ)(かづら)を取りて、一宿の間に、衣(きぬ)(はかま)また襪(したくつ)(くつ)を織り縫ひ、また弓矢を作りて、其の衣褌等を服(き)せ、其の矢を取らしめて、其の嬢子の家に遣はせば、其の衣服また弓矢、悉に藤の花に成りき。是に其の春山之霞壮士、其の弓矢を嬢子の厠に繋けき。爾にいずしをとめ、其の花を異(あや)しと思ひて、将(も)ち来る時に、其の嬢子の後に立ちて、其の屋に入る即ち、婚(まぐは)ひしつ。故(かれ)、一りの子を生みき。」
 こうして弟は賭けに勝ったが、この後その賭け物の支払いをめぐって、兄弟は争うことになる。
この説話からは、古代から、フジの蔓で弓矢を作ったこと、藤の蔓から取る繊維で衣服・靴下・靴などを作ったこと、などが知られる。
 藤衣は織目が粗く、粗末な、日常用のものであったので、次のような枕詞が生まれた。

 「ふぢごろも(藤衣)」は、折る・まどお(間遠)・な(慣・馴)るなどにかかる。
 「あらたへ(荒栲・粗栲)の」は、藤原・藤井・藤江など藤のつく地名にかかる。
   
(栲・白栲については、コウゾを見よ。) 
 『古今集』に、

   よそにみて かへらむ人に 藤の花 はひまつはれよ 枝はおるとも
     
 (遍照、「しがよりかへりけるをうなどもの、花山にいりて
         藤花のもとにたちよりて、かへりけるによみてをくりける」)

   わがやどに さける藤なみ 立かへり すぎがてにのみ 人のみるらん
     
(凡河内躬恒、「家に藤花さけりけるを 人のたちとまりて見けるをよめる」)
   ぬれつゝぞ しゐておりつる 年のうちに 春はいくかも あらじと思へ
     
(在原業平、「やよひのつごもりの日、雨のふりけるに、藤花ををりて人につかはしける」)
   わがやどの 池の藤なみ さきにけり 山郭公
(やまほととぎす) いつかきなかむ
     
(よみびとしらず)
   みよしのの おほ河のべの 藤浪の なみにおもはば 我こひめやは (同)

 『亭子院歌合』
(913.3.13)に、

  武蔵野に いろやかよへる 藤の花 若紫に そめて見ゆらん
 (ムラサキを参照)
  風吹けば おもほゆるかな 山ぶきの 岸の藤浪 今や咲くらん
 (兼覧王)
  かけてのみ 見つゝぞ忍ぶ 紫に いくしほ染めし 藤の花ぞも
 (凡河内躬恒)
  みなそこに 沈めるはなのいろみれば 春の深くも なりにけるかな
 (坂上是則)

 西行
(1118-1190)『山家集』に、

   にし
(西)をまつ 心にふぢを かけてこそ そのむらさきの 雲をおもはめ

 『新古今集』に、宮中の藤壺
(飛香舎,ひぎょうしゃ)の藤を詠って、

   かくてこそ 見まくほしけれ 万代を かけてにほへる 藤浪のはな
(醍醐天皇)
   円居して みれどもあかぬ 藤浪の たたまくをしき けふにもある哉
(村上天皇)

とある。
(藤壺は、紫式部『源氏物語』では、桐壺(淑景舎,しげいしゃ)の帝の中宮で、光源氏との間に冷泉帝を生むことになる女性の称であった。)

 また、松に絡む藤の花を、

   緑なる 松にかかれる 藤なれど おのが比
(ころ)とぞ 花は咲きける (紀貫之)


 そのほか、『八代集』に、

   春日さす 藤のうらはの うらとけて きみしおもはゞ 我もたのまん
     
(よみ人しらず、『後撰和歌集』)
   みなそこの 色さへふかき 松が枝に ちとせをかけて さける藤なみ
     
(よみ人しらず、『後撰和歌集』)
 
 清少納言『枕草子』にも、「めでたきもの」として「色あひふかく、花房ながく咲きたる藤の花の、松にかかりたる」を挙げている。
 
(松に藤の組合せは、中国の唐代に、長寿の象徴とされたことの受容であろう。日本では、松は男性、藤は女性として、男女和合の象徴ともしたようだが。)

 清少納言は、「花も糸も紙もすべて、なにもなにも、むらさきなるものは めでたくこそあれ」とも言い、清少納言(というより王朝の人々)が、藤の花の色をことのほか好んだものでることが知られる。
 藤衣は、喪服として用いられた。
 『古今和歌集』に、

   ふぢ衣 はつるゝいとは わび人の 涙の玉の をとぞなりける
     
(壬生忠岑「ちゝがおもひにてよめる」)

 西行
(1118-1190)『山家集』に、

   かさねきる ふぢのころもを たよりにて 心の色を そめよとぞ思ふ
     
(右大将公能、父の服のうちに母亡くなりぬときゝて
      
高野よりとぶらひ申ける)
   ふぢ衣 かさぬる色は ふかけれど あさき心の しまぬはかなさ
     
(返し)
 
 『花壇地錦抄』(1695)巻三「藤桂のるひ」に、「野田藤(のたふち) むらさき、花長クさがる事四尺斗、よく出来たるハ五尺くらい」と。

   草臥
(くたびれ)て宿かる比(ころ)や藤の花 (芭蕉,1644-1694。「大和行脚のとき」)
   藤の実は俳諧にせん花の跡 (同)

   目に遠くおぼゆる藤の色香哉 
(蕪村,1716-1783)
   うつむけに春うちあけて藤の花 
(同)
   人なき日藤に培ふ法師かな 
(同)
   山もとに米踏ム音や藤のはな 
(同)
 

   藤浪の花は長しと君はいふ夜の色いよよ深くなりつつ
     
(1920,斉藤茂吉『つゆじも』)
 

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