こうぞ(こうぞ)
学名 |
Broussonetia kazinoki × Broussonetia papyrifera |
日本名 |
コウゾ |
科名(日本名) |
クワ科 |
日本語別名 |
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漢名 |
小構樹(ショウコウジュ,xiăogòushù) |
科名(漢名) |
桑(ソウ,sāng)科 |
漢語別名 |
葡蟠(ホバン,púpán)、女穀(ジョコク,nügu)、穀皮樹 |
英名 |
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2010/04/11 神代植物公園 「コウゾ Broussonetia kazinoki」と表示 |
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2016/06/10 同上 |
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2007/06/28 同上 |
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2006/08/13 同上 |
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2006/11/18 同上 |
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辨 |
カジノキ属 Broussonetia(構 gòu 屬)には、東~南アジアに3-4種がある。
ツルコウゾ B. kaempferi(葡蟠・穀皮藤) 藤本、雌雄異株。山口・四国・九州産
ヒメコウゾ B. monoica (B.kaempferi var.australis;
小構樹・葡蟠・女穀・穀皮樹・藤構・蔓構) 低木(高2-5m)。雌雄同株。4-5月に
若い枝の葉腋ごとに1個の花序を伸ばし、上部の葉腋に雌花序(球形、花柱を除いて直径
約4mm、花柱は赤色、長約5mm)、下部に雄花序(球形、直径約1cm)をつける。集合果は球形、
直径約1.5cm。本州・四国・九州・朝鮮・臺灣・華東・兩湖・兩廣・西南産。中国では根・根皮・樹皮・
葉を薬用にする。日中ともに、コウゾとヒメコウゾを含めて、コウゾ(小構樹・葡蟠・女穀)と
汎称する。
カジノキ B. papyrifera (構樹・楮・楮桃・毛桃・穀樹・穀桑・桷)
高木(高5-10m)。雌雄異株。開花期は5-6月。雄花序は円筒形、長3-9cm、径約1cm。雌花序は
球形、直径約1cm、花柱は長7-8mm。集合果は球形、直径約3cm。漢土(黄河・長江・珠江流域)・
インドシナ・マレーシア・インド・オセアニアに分布、日本では稀に栽培。中国では乳液・根皮・
樹皮・葉・果実・種子を薬用にする。『中薬志Ⅱ』pp.424-426 『全国中草葯匯編』下/363-364
『雲南の植物Ⅱ』158
コウゾ B. × kazinoki(楮・小構樹) カジノキとヒメコウゾの雑種、カジノキに近いものと、
ヒメコウゾに近いものがある。栽培するものはカジノキに近く雌雄異株、ほとんど結実しない。
ヒメコウゾに近いものは、雌雄同株。なお、日中ともに、コウゾとヒメコウゾを含めて、
コウゾ(小構樹・葡蟠・女穀)と汎称する。 『全国中草葯匯編』下/338
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クワ科 Moraceae(桑 sāng 科)については、クワ科を見よ。 |
訓 |
伝統的な漢名は、穀(コク,gŭ)、楮(チョ,chŭ)、構(コウ,gòu)。 |
学名と漢名に対して、和名はコウゾ・ヒメコウゾとカジノキが入れ替っている。
これら両者は、歴史的にも混同されてきた。一説に、コウゾ・カジノキともに、古名カゾの転訛と言う。 |
和名は 古くはタク、朝鮮語 tak に由来するという。タクは、のちにはこの木から作る白布の意に転じた。
この木が後に紙の材料とされるようになると、コウゾと呼ばれた。すなわち、コウゾは「紙のソ」の転訛、ソは繊維の意。 |
『本草和名』楮実及び柠實に、「和名加知乃岐」と。
『倭名類聚抄』■{穀の禾に木を代入}・楮に、「和名加知」と。
小野蘭山『本草綱目啓蒙に、楮は「カウゾ コゾノキ カゴ豊前丹後 カヂノハ豫州」と、構は「カヂ和名鈔 カヂノキ カミノキ又カウゾ」と、また「一種ヒメカウゾアリ、一名ヤコソ豫州 カヂノキ同上 ヒヲ備後 タフ紀州 イヌカウゾ城州 ヤフカウジ江州」と。 |
日本では、タクに栲の字を、カジに梶の字を当ててきた。
しかしながら、栲という字は、漢語では栲(コウ,kăo)、ブナ科シイ属 Castanopsis(錐屬)のクリガシ C. fargesii(栲)を指す。
梶という字は、漢語では梶(ビ,wĕi)、木の「こずえ」の意。日本語でこれを「かじ(かぢ)」と読むのは、船の「かじ(かぢ,舵)」を「船尾木」ととらえたことから起った誤用。これを植物の「かじ(かぢ)」に充てたのは、同音による更なる転用。 |
説 |
上の辨を見よ。 |
誌 |
ヒメコウゾ・コウゾ・カジノキは、皮を剥ぎ、蒸して水に浸し、ほぐして繊維を採る。 |
中国では、成熟した果実を楮實子(チョジツシ,chŭshízĭ)と呼び、薬用にする。 『(修訂) 中葯志』III/614-616
なお、賈思勰『斉民要術』(530-550)巻5に「種穀楮」が載る。 |
日本では、コウゾ類から取った繊維を糸にしたものを、木綿(ゆう・ゆふ)と呼ぶ。
木綿を織って作った布を、太布(たふ)・栲(たえ・たく)・栲布(たくぬの)などと呼ぶ。漉いた紙を楮紙(こうぞがみ)と呼ぶ。 |
木綿(ゆう)を用いては幣(ぬさ)を作り、神事にサカキにかけて垂らした。『日本書紀』巻1 神代第7段一書(第三)を見よ。
また、『日本書紀』24皇極天皇2年2月に、「是の月、風ふき雷なりて雨氷(ひさめ)ふる。冬の令(まつりごと)を行えばなり。国の内の巫覡(かむなき)等、枝葉(しば)を折り取りて、木綿(ゆふ)を懸(しで)掛けて、大臣(おほおみ)の橋を渡る時を伺候(うかが)ひて、争(いそ)ぎて神語(かむこと)の入微(たへ)なる説(ことば)を陳(の)ぶ。其の巫(かむなき)甚多(にへさ)にして、悉に聴くべからず」と。
同3年3月にも、「是の月に、国の内の巫覡(かむなき)等、枝葉(しば)を折り取りて、木綿(ゆふ)を懸(しで)掛けて、大臣(おほおみ)の橋を渡る時を伺(うかが)ひて、争(いそ)ぎて神語(かむこと)の入微(たへ)なる説(ことば)を陳(の)ぶ。其の巫(かむなき)甚多(にへさ)なり。具(つぶさ)に聴くべからず」と。
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また「ゆふたすき(木綿で作った襷)」は、やはり神事に用いた。『日本書紀』巻13允恭天皇4年9月の条に、「是(ここ)に、諸人(もろひと)、各(おのおの)木綿手繦(ゆふたすき)を著(し)て、釜(なべ)に赴(ゆ)きて探湯(くかたち)す」と。
『万葉集』に、
ひさかたの 天の原より 生(あ)れ来たる 神の命(みこと)の
奥山の 賢木(さかき)の枝に 白香つけ 木綿とりつけて・・・
反歌
木綿畳 手に取り持ちて かくだにも 吾は乞ひなむ 君にあ(逢)はじかも
(3/379;380, 大伴坂上郎女。「祭神歌」)
・・・ たら乳根の 母の命は いはいべ(斎瓮)を 前に坐ゑ置きて
一手には 木綿取り持ちて 一手には 和細布(にぎたへ)奉(まつ)り
平けく ま幸(さき)く坐(ま)せと 天地の 神祇を乞ひ祷(の)め ・・・
(3/443,大伴三中)
・・・ 吾が独り子の 草枕 客(たび)にし往けば
竹珠を 密(しじ)に貫き垂れ 斎(いはひ)べ(瓮)に 木綿取りし(垂)でて
しはひつつ 吾が思ふ吾子(あこ) 真さきく有りこそ
(9/1790,読人知らず)
みわ山の 山辺(やまべ)真そ木綿(ゆふ) 短木綿(みじかゆふ)
かくのみ故に 長しと思ひき
(2/157,高市皇子尊。十市皇女を悼んで)
後れにし 人を思(しの)はく 四泥(しで)の埼 木綿取りし(垂)でて さきくとそ念ふ
(6/1031,丹比屋主真人)
木綿懸けて 祭る三諸の 神さびて 斎(いつ)くにはあらず 人目多みこそ
(7/1377,読人知らず)
木綿懸けて 斎く此の神社(もり) 超えぬべく 念ほゆるかも 恋ひの繁きに
(7/1378,読人知らず)
・・・木綿手次(たすき) 肩に取り掛け・・・ (19/4236,読人知らず) |
木綿を用いて花を造り、木綿花(ゆふはな)と呼んだ。
白香付く 木綿は花物 こと(言)こそは 何時のまさかも 常忘らえね
(12/2993,読人知らず)
山高み 白木綿花に 落ちたぎつ 瀧の河内は 見れど飽かぬかも
(6/909,笠金村)
山高み 白木綿花に 落ちたぎつ 夏身の川門(かはと) 見れど飽かぬかも
(9/1736,式部大倭)
泊瀬女(はつせめ)の 造る木綿花 み吉野の 瀧の水沫(みなわ)に 開(さ)きにけらずや
(6/912,笠金村)
泊瀬川 白木綿花に 堕ちたぎつ 瀬を清けみと 見に来し吾を
(7/1107,読み人知らず)
あふ(逢)坂を 打ち出でて見れば 淡海の海 白木綿花に 浪立ち渡る
(13/3238,読人知らず)
日常生活の中における木綿(ゆふ)を詠った歌に、
こま人の 額髪(ぬかがみ)結へる 染め木綿の 染みにし心 我忘れめや
(11/2496,読人知らず)
・・・ 蜷(みな)の腸(わた) か黒き髪に 真木綿持ち あさざ結ひ垂れ
日本(やまと)の 黄楊(つげ)の小櫛を 抑へ挿す 刺細(さすたへ)の子
それそ吾が妻
(13/3295,読人知らず)
緑子の 若子がみ(身)には 垂乳(たらち)し 母に懐(うだ)かえ
褨襁(ひむつき)の 平生(はふこ)がみ(身)には
ゆふ(木綿)かた(肩)衣(きぬ) ひつら(純裏)に縫ひき(着) ・・・
打つそ(麻)やし 麻績(をみ)の児ら あり衣(ぎぬ)の 宝の子らが
打栲(うちたへ)は 経て織る布 ・・・
(16/3791,読人知らず) |
栲・細(たへ)を詠った歌に、
・・・ 白細に 舎人(とねり)装いひて ・・・
(3/475,大伴家持。安積皇子を悼んで。白衣は喪服)
・・・ 大殿を 振りさけ見れば 白細布に 飾り奉りて
内日刺す 宮の舎人も 雪(たへ)の穂の 麻衣(あさぎぬ)服(き)れば ・・・
(13/3324,読人知らず「挽歌」。「栲の穂」は 純白の意)
我が為と 織女(たなばたつめ)が 其の屋戸に
織る白布(しろたへ)は 織りてけむかも (10/2027,読人知らず)
君にあはず 久しき時ゆ 織る服(はた)の 白栲衣 垢づくまでに
(10/2028,読人知らず)
我が背児が 白細衣 往き触れば にほひぬべくも もみつ山かも
(10/2192,読人知らず)
白細の 手本寛(ゆた)けく 人の宿(ぬ)る 味宿(うまい)は寝ずや 恋ひ渡りなむ
(12/2963,読人知らず)
馬並めて 高の山べを 白妙に にほはしたるは 梅の花かも
(10/1859,読人知らず)
粗妙の 布衣をだに き(着)せがてに かくや歎かむ せむすべをなみ
(5/901,読人知らず。「老身重病、経年辛苦、児らを思ふ歌」)
・・・ 我が宿(ね)たる 衣の上ゆ 朝月夜 清かに見れば
栲の穂に 夜の霜落(ふ)り 磐床に 川の水凝り ・・・
(1/79,読人知らず) |
コウゾ・カジノキから作る、ゆう(ゆふ)・たく・たえ(たへ)・たふは、日常に親しいものであったゆえか、これらの言葉はいくつもの枕詞の一部となり、かつそれらの使用頻度が高い。
たとえば、次のような枕詞が使われた。
「あらたへ(荒妙・荒栲)の」は、藤にかかる。
(これは、荒栲はフジの樹皮の繊維から作ることから。フジを見よ)
「うつゆふ(虚木綿)の」は、まさき国・こもるにかかる。
「しきたへ(敷妙・敷細・布細布)の」は、枕・手枕・床・家・袖・衣手などにかかる。
「しろたへ(白妙・白栲・白細布・白細)の」は、衣・袖・緒など布で作ったものや、月・雪・鶴・卯の花など白いもの、または藤江の浦・かしは・夕波・浜名などにかかる。
「たくづの(栲綱)の」は、白・新羅にかかる。
「たくなは(栲縄)の」は、長き・千尋にかかる。
「たくひれ(栲領巾・細領巾)の」は、カケにかかり、また白・鷺坂山にかかる。
「たくぶすま(栲衾)」は、白・新羅にかかる。
「ゆふだすき(木綿襷)」は、かける・かたなどにかかる。
「ゆふだたみ(木綿畳)」は、手向けの山・田上(たなかみ)山、あるいはタにかかる。
「ゆふはな(木綿花)の」は、栄ゆにかかる。
『万葉集』から、それぞれ用例を挙げる。
やすみしし 吾が大王の 高照らす 日の皇子
荒妙の 藤原がうへに 食(を)す国を み(見)し賜はむと ・・・
(1/50,読人知らず)
・・・ 虚木綿の こもりてをれば ・・・
(9/1809,高橋虫麻呂)
愛(うつく)しき 人の纏(ま)きてし 敷細の 吾が手枕を 纏く人有らめや
(3/438,大伴旅人)
春過ぎて 夏来るらし 白妙の 衣乾したり 天の香来山
(1/28,持統天皇)
・・・
ちちのみ(実)の ちち(父)のみこと(命)は たくづのの しらひげ(白鬚)のうえ(上)ゆ
なみだ(涙)た(垂)り なげ(歎)きのた(宣賜)ばく ・・・
(20/4409,防人の別れを悲しむ歌)
栲縄の 永き命を 欲りしくは 絶えずて人を 見まく欲れこそ
(4/704,巫部麻蘇娘子)
細ひれの 鷺坂山の 白つつじ 吾ににほはね 妹に示さむ
(9/1694,読人知らず)
たくぶすま 新羅へいます きみ(君)がめ(目)を
けふ(今日)かあす(明日)かと いは(斎)ひてま(待)たむ
(15/3587,読人知らず)
・・・ 木綿たすき 肩に取り掛け 倭文幣(しつぬさ)を 手に取り持ちて ・・・
(19/4236,読人知らず)
木綿畳 手向の山を 今日越えて いづれの野辺に 廬(いほり)せむ吾
(6/1017,大伴坂上郎女)
・・・ 万代に しかしもあらむと 木綿花の 栄ゆる時に ・・・
(2/199,柿本人麻呂) |
なお、『万葉集』に、
あしがり(足柄)の わをかけやまの(不詳) かづの木の
わ(吾)をかづさねも かづ(穀)さ(割)かずとも (14/3432,読人知らず)
とある「かづの木」は、ヌルデあるいはカジノキ。 |
『花壇地錦抄』(1695)巻三「山椒(さんせう)るひ」に、「梶(かぢ) 葉ハふやうの葉のごとく也。世俗、七月七夕ニ此葉ニ詩歌ヲ書テ二星に献ずなり」と。 |
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