しょうようじゅりん (照葉樹林) 

 照葉樹林とは、日本(関東南部以西)・台湾・中国(揚子江流域・雲南)・東南アジア(北部山地地方)・ヒマラヤ(中腹)にかけて広がる、暖温帯性の常緑広葉樹林。
 樹林を作るのは、ブナ科の樹木、すなわちコナラ属アカガシ亜属
(いわゆるカシ類。アラカシ・シラカシ・ツクバネガシ・アカガシ・ウラジロガシなど)シイ属(スダジイ・コジイ)マテバシイ属(マテバシイ・シリブカガシ)などであるが、そこにクスノキ科(クスノキ・タブノキ・ヤブニッケイ・シロダモ)ツバキ科(ツバキなど)・マンサク科(イスノキ)・ハイノキ科ハイノキ属(ハイノキなど)・ヤブコウジ科ヤブコウジ属(ヤブコウジマンリョウなど)などの植物が混じる。いずれも、葉の表皮のクチクラ層が発達して光沢があり、冬の寒さや乾燥に強い。
 ・・・たとえば奈良の春日山の奥山回遊道路にとりかこまれているまん中が照葉樹林ですね。あの中に入ってみるとわかりますが、冬なんか妙な気がしますよ。冬でも葉が落ちていない。全部グリーンで、下ばえまで真冬でもこい緑色だ。ぼくらは照葉樹林で仕事をすることが多いのですが、ブナ林帯だと昼めしを食うのが楽しいけれども、照葉樹林帯ではあまり楽しくないのですよ。尻の下がジクッと湿っていて、コケがはえていて、暗くて日はさしこんでこないし、何となく猥雑な感じがする。猥雑という表現には根拠があるんです。たとえばツルが非常に多い。フジとかカズラのたぐいがたくさんあります。ツルが多いのは熱帯の森林の特徴と言われているんですが、その性質がそのまま照葉樹林まできているんです。奈良の奥山でも、かなり大きいフジづるが蛇みたいに下がってますからね。そういうのはブナ林までいくとあまり見られない。照葉樹林までです。木の幹や枝にくっついている着生生物もそうです。そういうものが多くて、木が倒れていれば、みんなブヨブヨに腐って水を含んで、上にコケが生えている。そういうものりが集まって、眺めに猥雑な感じをあたえて楽しくない。ある種の圧迫さえ感じます。(上山春平編『照葉樹林文化 日本文化の深層』)
 
 照葉樹林という言葉は、ラテン語の laurisilvae・ドイツ語の Lorbeerwaelder の翻訳語である。原語は「ゲッケイジュ林」という意味で、1915年ころから使われる用語。
 そもそも、夏期乾燥型の地中海性気候のもとでは、平地ではオリーブ・コルクガシなどが主になって 常緑樹林を作る。これを durisilvae, Hartlaubwaelder と名づけた(これは硬葉樹林と訳す)。それに対して、同じ地域でも山地の北斜面などでは夏の雨量が増え、ゲッケイジュを中心とする、平地とは異なった樹林が形成された。これを laurisilvae, Lorbeerwaelder と名づけた。これを1930年ころ、日本語に「照葉樹林」と訳したのだという。
 したがって、ヨーロッパのlaurisilvae, Lorbeerwaelder に対して、ここにいう日本から東南アジアにかけて広がる照葉樹林は、林を構成する樹木の種類がまったく異なる。

 なお、英語では lucidophyllus forest という。「光る葉の林」の意、「照葉樹林」という訳語にふさわしい。 
 照葉樹林は、暖温帯に属する大陸東岸型の夏雨気候のもとで、十分な雨量があり、冬の寒さが一定の指数以下にならない場合に成立する。暖温帯であっても雨量が十分ではない場合には暖帯落葉樹林となり、雨量が十分であっても冬の寒さの指数が一定以下になる場合には、冷温帯性の落葉広葉樹林となる。
 日本の原植生は、およそ関東地方を境として、西南日本は照葉樹林、東北日本は落葉広葉樹林であったとされる。
 照葉樹林という概念は、中尾佐助が『栽培植物と農耕の起原』(岩波新書,1966)において、栽培植物の起原から 原始時代の農耕文化の類型と展開を展望し、その中で一章を「照葉樹林文化」に割いたことから注目されるようになった。その文化は、日本文化の最古層を形作る可能性を持っていたものと考えられたからである。
 上山春平・中尾佐助らは、ただちにシンポジウムを催し、『照葉樹林文化 日本文化の深層』
(中公新書,1969)を世に問うた。以来、弥生時代に始まると考えられた稲作文化の前の、縄文文化をどう考えるかという問題と重なって、照葉樹林文化論は数々の名著を世に送り出してきた。
 照葉樹林は、人間が農耕活動を始めると、伐採されて畑地とされ、その姿を消してきた。
 「照葉樹林帯は古来人間の多く生活してきたところなので、自然植生はほとんど破壊され、現在、照葉樹林の残存はきわめて少ない。かろうじてその例を求めるなら、神社寺院の境内の林、丘陵地の斜面や尾根の一部、あるいは特に保存された場所などがある。このなかには春日山原始林
(奈良県)や那智原始林(和歌山県)のように規模の大きいものもあるが、たいていは小面積の断片的なものである。九州に比較的多かった照葉樹林も、伐採が進んで残り少なくなっている」(沼田真・岩瀬徹『図説 日本の植生』1975)。 
 いわゆる『魏志』倭人伝に見る記事から、邪馬台国の植生を想像すると、「これらの植物が構成する(邪馬台国の)森林植生を想像してみると、これらの植物はいずれも、わが国南部に発達する暖温帯照葉樹林植生に属するもので、上木はうっそうとしたタブ・クス・カシ類などの照葉樹に、部分的にはカヤなどの針葉樹におおわれ、疎開地にはコナラ・クヌギ・カエデ類があり、低木としてはカカツガユ・クサボケ・サンショウ・ササ類が繁茂し、草本にはショウガ科の植物が生育し、またタチバナ・シュロなどが点生するような森林植生の相観をしていたのではないかと思われる。」(只木良也『森の文化史』引苅住昇)
 「大阪市の南、泉北丘陵にニュータウンが建設されたが、この場所は、かつて朝鮮から渡来した技術で須恵器を大量に焼いたところであった。ニュータウン建設に先立つ調査によって陶器の窯跡がつぎつぎと見つかり、その数は千基以上にも達した。ともに埋もれていた須恵器から年代の推定できる釜跡に残っていた木炭を分析した西田正規博士は、年代の古い窯の燃料のほとんどがカシなどの照葉樹で、六世紀後半からアカマツがぐんと増え、七世紀後半からはほとんどがアカマツになることを見出した。」(只木良也『森の文化史』1981)

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