辨 |
木か草か
「植物の生活型を、木と草に大別することができるが、その場合、竹はどちらに入るであろうか。竹林を見れば、たしかに林と呼べる構造、つまり上層に竹、下層に低木層や草本層をもつ階層構造をつくる。この点から竹は木に近い。一方、竹は肥大成長をしないとか、根茎で繁殖するなど、ふつうの木に見られない草本的性格も持っている。そこで、竹は巨大な草(giant
grass)と表現する人もある。これが同じ竹科でもササになると、その植生のタイプは多くは草原の中にくり入れられる。このように竹は、生活型からも、植生の上からも、中間的な性格を持った独特のものである」(沼田真・岩瀬徹『図説 日本の植生』1975)。
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竹と笹
古来、大型のものを竹、小型のものを笹と呼び慣わす。
しかし、植物学的には、
筍(たけのこ)が生長すると、皮(稈鞘)が自然に稈(カン,găn,くき)から剥がれ落ちるのがタケ、長く着いたままなのがササ、
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皮が長く稈に着いているものでも、一つの節から数本の枝を出すものはタケ、一本しか出さないものはササ、
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と区別する。
タケは東・東南アジアの熱帯・温帯の湿潤な地域に分布し、ササは温帯に分布する。
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分類
竹類を、独立したタケ科 Bambusaceae とする立場があるが、ここではイネ科 Poaceae(Gramineae;禾本 héběn 科) タケ亜科 subfam. Bambusoideae(竹 zhú 亞科)とする考え方に従う(『改訂新版 日本の野生植物2』、米倉浩司『新維管束植物分類表』)。
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タケ亜科 subfam. Bambusoideae(竹 zhú 亞科)には、次の3連がある。
メダケ連 Arundinarieae(北美箭竹族)
オリラ連 Oryleae
ホウライチク連 Bambusoideae
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タケ亜科 subfam. Bambusoideae(竹 zhú 亞科)には、世界に約110-130属 1400-1700種がある。東アジアには、次のようなものを産し、或は栽培する。
メリケンチク属 Arundinaria(北美箭竹 běiměijiànzhú 屬)北米東部に3種
ホウライチク属 Bambusa(簕竹 lèzhú 屬)
カンチク属 Chimonobambusa(寒竹 hánzhú 屬)
マチク属 Dendrocalamus(牡竹 mŭzhú 屬)
Dinochloa(藤竹 téngzhú 屬)
Fargesia(箭竹 jiànzhú 屬)
F. cuspidata(Sinarundinaria cuspidata;尖尾箭竹)
F. ferax(Sinarundinaria ferax;豐實箭竹)
F. muriela(Sinarundinaria sparsiflora;疏花箭竹)
F. nitida(Sinarundinaria nitida;華西箭竹)
F. spathacea(箭竹・拐棍竹・華桔竹) 湖北・四川産
Gelidocalamus(短枝竹 duănzhīzhú 屬)
タイワンヤダケ G. kunishii(Sinobambusa kunishii;臺灣矢竹) 臺灣産
ダイマチク属 Gigantochloa(巨竹 jùzhú 屬) 熱帯アジアに約60種
G. levis
インヨウチク属 Hibanobambusa(× Phyllosasa)
オオバヤダケ属 Indocalamus(箬竹 ruòzhú 屬) 漢土南部に約30種
I. fargesii(四川箬竹)
オオバヤダケ I. hamadae(I.tesselatus f.hamadae)
I. latifolius(闊葉箬竹) 華東・兩湖・秦嶺に産
I. longiauritus(箬葉竹・殻箬竹) 兩湖・四川・貴州・雲南産
I. migoi(浙贛箬竹) 浙江・江西に産
I. pedalis(矮竹)
I. tessellatus(箬竹 ruòzhú) 浙江・湖南産。本草綱目15「箬」
I. varius(善變箬竹)
I. victorialis(勝利箬竹)
Indosasa(大節竹 dàjiézhú 屬) 漢土では兩廣・四川・貴州・雲南に分布
I. crassiflora(大節竹) 江西・雲南・ベトナム産 『全国中草葯匯編』下102
I. hispida(浦竹仔)
I. shibataeoides(倭形竹)
ササクサ属 Lophatherum(淡竹葉 dànzhúyè 屬) 2種
ナシタケ属 Melocanna(梨竹 lízhú 屬) 東南アジア・インドに3種
ナシタケ M. baccifera(M.humilis;梨竹) 印度・ビルマ産 臺灣・廣東で栽培
マダケ属 Phyllostachys(剛竹 gāngzhú 屬)
メダケ属 Pleioblastus(大明竹 dàmíngzhú 屬)
ヤダケ属 Pseudosasa(矢竹 shĭzhú 屬)
ササ属 Sasa(赤竹 chìzhú 屬)
incl. Neosasamorpha, Sasamorpha
アズマザサ属 Sasaella(東笆竹 dōngbāzhú 屬)
ヒイランチク属 Schizostachyum(■{竹冠に思}簩竹 sīláozhú 屬) 熱帯アジア・マレシアに約60種
オウゴンチク S. brachycladum(短枝黃金竹)
S. chinense(薄竹) 『全国中草葯匯編』下102
ヒイランチク S. diffusum(●{竹冠に沙}簕竹) 臺灣産
S. dumetorum(苗竹仔) 廣東産
S. funghomii(沙羅單竹) 兩廣産
S. hainanense(山骨羅竹) 海南島・ベトナム産
アルルド S. lima
S. pseudolima(■{竹冠に思}簩竹・沙園竹・山鐡羅竹) 海南島・ベトナム北部産
ナリヒラダケ属 Semiarundinaria(業平竹 yèpíngzhú 屬)
オカメザサ属 Shibataea(鵝毛竹 émáozhú 屬)
トウチク(ヒゼンナリヒラ)属 Sinobambusa(唐竹 tángzhú 屬)
Yushania(玉山竹 yùshānzhú 屬) 臺灣・フィリピン・漢土南部・ヒマラヤに約80種
Y. brevipaniculata(Sinarundinaria chungii;短錐玉山竹・大箭竹) 四川産
ニイタカヤダケ Y. niitakayamensis(玉山竹) 臺灣・フィリピン産
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イネ科 Poaceae(Gramineae;禾本 héběn 科)については、イネ科を見よ。
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訓 |
和名タケは、長ける・猛るに通じ、高くなる・長ずる・猛々しいなどの意から、という。
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『本草和名』に、苦竹・竹笋は「和名多加牟奈」と、甘竹・子は「和名多介乃美」と。
『倭名類聚抄』に、竹は「和名多計」、篁は「和名太加無良、俗云太加波良」と、また篠は「和名之乃、一云佐々、俗用小竹二字、謂之佐々」と。
小野蘭山『本草綱目啓蒙』竹筍に、「タカンナ古名 カラタマ古歌 タケノコ タンコ上総房州 カツポウ防州」と。同33竹に、「タケ和名鈔 コヱダグサ古歌 ユウタマグサ カハタマグサ チイログサ チヒログサ カクバシラ共同上」と。
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漢名竹(チク,zhú)の字は、繁る竹の葉の象形文字(もと 个を二つ横に並べた形)。
ただし、『詩経』に出る竹は、ミチヤナギ(ニワヤナギ) P. aviculare(萹蓄)であるという。
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ササは、細少(ささ)竹の略、あるいは葉が風に吹かれて触れ合う音の擬声語、などという。
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笹という字は、日本の国字。成り立ちについては、
「竹+世(何代も生える)」
「竹+世(葉の略体)」
「竹+世(節(よ)を世に寄せて)」
などの説がある。
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竹の部位を表すことばのうち、
筍・笋(ジュン,sŭn)は、たけのこ(今日の漢語では竹笋 zhúsŭn)、『倭名類聚抄』に太加無奈
竹鞭(チクベン,zhúbiān)は、地下茎、
鞭筍(ベンジュン,biānsŭn)は、地下茎の先端の 柔らかく食用とする部分、
籜(タク,tuò)は竹の皮、『倭名類聚抄』に宇波加波
籜葉(タクヨウ,tuòyè)は、皮の先に着いている緑色の小さな葉のようなもの、
筍衣(ジュンイ,sŭnyī)は、たけのこの先のほうの皮で 柔らかくて食用とする部分。
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説 |
「わが国の竹林には栽培のものが多いが、自然林的に広がるところもある。特に西南日本の急斜面をもった地形では、竹林が最も安定した形となり、いわば地形的極相とみられる場合もある。だが一般には、竹林は遷移の途中相で、人手が加えられなければより安定した方向へと移り変わってゆく。
ふつう栽培している竹林では、たとえば四年以上の竹を伐る(三年竹残しという)といった伐竹の管理をし、また夏には下刈りやつる切りをする。このような手入れで、比較的コンスタントな状態が維持されるのである。しかし竹林を放置すると、たちまちアカマツ・コナラ・クリなどが侵入してきて、落葉広葉樹林の方向に進むと思われる場合(関東以北の例)もあるし、ヤブツバキ・ネズミモチ・アオキ・オオバジャノヒゲ・ヤブコウジ・ナンテンなどがふえて、照葉樹林の方向に進む場合(西南日本の例)もある。・・・
竹やぶにはときどきクマガイソウの群落が見られる。そのほかチヂミザサ・ササガヤ・キチジョウソウなど、浅い根茎やほふく茎をもつような生活型の植物が草本層を作る。これらは半陰地を好む種類であり、上層の林冠と地下のやや深いところを生活域としてもつ竹とは、空間をすみ分けている。・・・
たとえば、京都の原生林では、草本層にはジャノヒゲ・トラノオシダ・クマワラビなどが優先する。愛知県豊橋では、最も老成した竹林ではキチジョウソウ・ジャノヒゲなどが優先する。林冠が密に混んだ状態では、木本の侵入は抑えられている(上田・沼田、1961。倉内、1952)。」
(沼田真・岩瀬徹『図説 日本の植生』1975)
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誌 |
中国では、タケは 古くから食用・加工用・観賞用などに供し、その目的で栽培してきた。
賈思勰『斉民要術』(530-550)巻5に「種竹」が載る。
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今日、中国でタケノコを食用にする代表的な種は、以下のものである。
モウソウチク Phyllostachys heterocycla f. pubescens(P.pubescens;P.edulis;
孟宗竹・江南竹・南竹・毛竹)
Phyllostachys praecox(早竹)
Phyllostachys vivax(烏哺鷄竹)
Phyllostachys iridenscens(紅哺鷄竹)
Phyllostachys acuta(尖頭靑竹)
Sinocalamus latiflorus(麻竹・甜竹・大頭典竹)
日本では台湾から輸入。ラーメンに入れるメンマ(支那竹;麵碼兒・麵麻;C.干笋 gansun)の原料
Sinocalamus oldhami(綠竹・坭竹・鳥藥竹)
Sinocalamus vario-striatus(吊絲丹竹)
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伝説に、舜が亡くなったときに、その后妃であった娥皇と女英(湘君・湘夫人)が流した涙が、その地に生えていた竹の上に落ち、その竹は緑の上に黄色い斑紋を生じたといい、これを斑竹という。
(実際には、タケに細菌が付いて病変を起こしたもの)。
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『詩経』国風・衛風・淇奥(きいく)に、「彼の淇奥を瞻(み)れば、緑竹 猗猗(いい)たり」と。
771B.C.に公に任じられた衛の武公の徳を、タケに擬えて詠う。
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『礼記』「月令」十一月に、「日短(冬至)至れば、則ち木を伐り 竹箭(竹と短い竹)を取る」と。
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王徽之(?-388)は、借家に竹を植えさせ、「何くんぞ一日も此君無かるべけんや」と嘯いたという(『世説新語』任誕)。
籬外の清陰 薬闌に接す
暁風に交戛(こうかつ)す 碧の琅玕(ろうかん)
子猷(王徽之)死後 知音少なし
粉雪霜筠(そういん) 歳寒に謾(おご)る
(羅隠「竹」)
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爆竹は、もと 青竹を火にくべて炸裂させ、大きな音を立てるもの。その音によって鬼を駆逐した。
宗懍『荊楚歳時記』(mid.6c.)に、正月一日「先ず庭前に爆竹して、以て山臊(さんそう)の悪鬼を辟(さ)く」と。
北宋ころから火薬を詰めて火を点け、爆音をたてるものに変ったという。今日の中国では、爆竹(bàozhú)は死語になり、鞭炮(biānpào)などの語が行われているという。
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日本では、『古事記』天の石屋戸の伝説に、天宇受売(あめのうずめ)の命は「天の香山の日影(ヒカゲカズラ)を手次(たすき)に懸けて、天の真拆(マサキ,一説にテイカカズラ)を■(かづら)と為(し)て、天の香山(あまのかぐやま)の小竹葉(ささば)を手草(たぐさ)に結ひて」踊ったという。
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『古事記』に、伊邪那岐(いざなぎ)の命(みこと)が 伊邪那美(いざなみ)の命を黄泉(よみ)の国に追い往き、やがて追われて逃げ帰るとき、「爾(ここ)に伊邪那岐の命、黒御■(くろみかづら)を取りて投げ棄(う)つれば、乃ち蒲子(えびかづらのみ)生りき。是を摭(ひろ)ひ食(は)む間に、逃げ行くを、猶追ひしかば、亦其の右の御美豆良(みみづら)に刺せる湯津津間櫛(ゆつつまぐし)を引き闕(か)きて投げ棄つれば、乃ち笋(たかむな)生りき。是を抜き食む間に、逃げ行きき」という。えびかづらはエビヅル、たかむなは たけのこ。
同じ場面を『日本書紀』巻一に引く一書第6に、「因りて、黒鬘(くろきみかづら)を投げたまふ。此即ち蒲萄(えびかづら)に化成(な)る。醜女(しこめ)、見て採りて噉(は)む。噉み了りて則ち更(また)追ふ。伊奘諾尊(いざなぎのみこと)、又湯津爪櫛(ゆつつまぐし)を投げたまふ。此即ち筍(たかむな)に化成る。醜女、亦以て抜き噉む。噉み了りて則ち更追ふ」と。
これらに見る筍・笋は、大型の竹のそれであろう。
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『日本書紀』21崇峻天皇即位前紀に、物部守屋(もののべのもりや)の資人(つかひびと)捕鳥部万(ととりべのよろづ)は、数百の軍勢に囲まれて、「即ち驚きて篁藂(たかぶる)に匿(かく)る。縄を以て竹に繋(つ)けて、引き動かして他(ひと)をして己が入る所を惑わしむ。衛士(いくさびと)等、詐かれて、揺(あゆ)く竹を指して馳せて言はく、「万、此(ここ)に在り」といふ。万、即ち箭(や)を発(はな)つ。一つとして中(あた)らざること無し。衛士等、恐りて敢へて近つかず。万、便ち弓を弛(はづ)して腋に挟(かきはさ)みて、山に向ひて走(に)げ去る」と。大きな竹林が眼に浮かぶ。
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『万葉集』には、タケ・ササ・シノなどとして詠われる。文藝譜を見よ。
代表的なものに、
御苑ふの 竹の林に 鶯は しばな(鳴)きにしを 雪はふりつつ (19/4285,大伴家持)
わが屋どの いささ村竹 ふ(吹)く風の おと(音)のかそけき このゆふべ(夕)かも
(19/4291,大伴家持)
小竹(ささ)の葉は み山もさやに 乱るとも(さやげども) 吾は妹思ふ 別れ来ぬれば
(2/133,柿本人麻呂)
妹らがり 我が通う路の 細竹(しの)すすき 我し通はば 靡け細竹原(しのはら)
(7/1121,読み人知らず)
甚だも 夜深けてな行き 道の邊の 斎小竹(ゆささ)の上に 霜の降る夜を
(10/2336,読人知らず)
小竹の葉に はだれ降り覆ひ 消(け)なばかも 忘れむと云へば 益して念(おも)ほゆ
(10/2337,読人知らず)
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『八代集』に、
さゝの葉に おくはつしもの 夜をさむみ しみはつくとも 色にいでめや
(凡河内躬恒、『古今和歌集』)
さゝの葉に おくしもよりも ひとりぬる 我衣手ぞ つえまさりける
(よみ人しらず、『古今和歌集』)
秋ののに ささわけしあさの 袖よりも あはでこしよぞ ひぢまさりける
(在原業平、『古今和歌集』)
さゝの葉に ふりつむ雪の うれををもみ 本くだちゆく わがさかりはも
(よみ人しらず、『古今和歌集』)
今更に 何おひいづらん 竹のこの うきふししげき よとはしらずや
(凡河内躬恒「物思ひける時、いときなきこを見てよめる」、『古今和歌集』)
木にあらず 草にもあらぬ 竹のよの はしに我身は 成ぬべらなり
(よみ人しらず、『古今和歌集』)
竹ちかく 夜床ねはせじ うぐひすの なくこゑきけば あさい(朝寝)せられず
(藤原伊衡「ねやのまへに竹のある所にやどりて」、『後撰和歌集』)
有馬山 いなの篠原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする
(大弐三位、『後拾遺集』『百人一首』)
窓ちかき 竹の葉すさぶ 風の音に いとどみじかき うたたねの夢
(式子内親王、『新古今和歌集』)
窓ちかき いささ群竹 風吹けば 秋におどろく 夏の夜の夢
(藤原公継、『新古今和歌集』)
年ごとに おひそふ竹の よよをそへて かはらぬ色を 誰とかはみん
(紀貫之、『新古今和歌集』)
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西行(1118-1190)『山家集』に、
こざさ(小笹)しく ふるさとをの(小野)の みちのあとを
またさは(澤)になす さみだれのころ
さみだれは ゆくべきみちの あてもなし をざさがはら(原)も うき(埿)にながれて
夏のよ(夜)は しののこたけの ふし(節)ちかみ そよやほど(程)なく あくるなりけり
夏のよも をざさがはらに しも(霜)ぞをく つきのひかりの さ(冴)えしわたれば
もろともに かげをならぶる ひともあれや 月のも(洩)りくる ささのいほり(庵)に
よをこめて たけのあみどに たつきり(霧)の は(晴)ればやがてや あ(明)けんとすらん
ゆふ(夕)されや たま(玉)おく露の こざゝふ(小篠生)に 声はつならす きりぎりす哉
うらかへす をみ(小忌)のころも(衣)と 見ゆるかな
竹のうれは(末葉)に ふ(降)れるしらゆき
春あさき すず(篠)のまがきに かぜ(風)さえて まだ雪きえぬ しがらき(信楽)のさと
をざさはら はずゑの露は たま(玉)ににて いし(石)なき山を 行心ちする
われ(我)なれや かぜ(風)をわづらふ しのだけは
お(起)きふ(伏)しものの 心ぼそくて
たまみがく 露ぞまくらに ちりかかる 夢おどろかす 竹の嵐に
竹のおとも 荻ふくかぜの すくなきに たぐへて聞ば やさしかりけり
よゝ(世々)ふ(経)とも 竹のはしらの 一すぢに 立たるふしは かは(変)らざらなん
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「竹を伐る事、・・・三年竹をば残し留めて、四年になるを伐るべし。是竹林を生立つる定法肝要の事なり。四年にならざるはかならずきるべからず。跡の竹甚だいたみて大(ふと)き竹林も小さくなる物なり」(宮崎安貞『農業全書』1697)。
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鴬や竹の子藪に老(おい)を鳴(なく) (芭蕉,1644-1694)
すゞしさを絵にうつしけり嵯峨の竹 (同)
夜すがらや竹こほらするけさのしも (同)
しねんこの藪ふく風そあつかりし (野童,『猿蓑』1691)
(幸田露伴評釈に、「じねんこは自然粇又は自然穀にて、竹の老いて結ぶ実なり」と)
蜂とまる木舞の竹や虫の糞 (昌房,『猿蓑』1691)
(幸田露伴評釈に、「木舞はあて字なり、壁の下地に編付けたる篠をこまひ竹といふ。
茅屋の破れ壁、眼前の春の景なり」と)
笋(たけのこ)の藪の案内(あない)やをとしざし (蕪村,1716-1783)
若竹や夕日の嵯峨と成にけり (同)
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長野・岐阜両県の界、乗鞍岳の南に野麦峠があるが、野麦とはササのこと、実が麦に似て食用になることから。
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山ゆゑに笹竹(ささたけ)の子を食ひにけりははそはの母よははそはの母よ
(斎藤茂吉「死にたまふ母」(1913)より。『赤光』所収)
ひるさむき光しんしんとまぢかくの細竹群(ほそたかむら)に染みいるを見む
ひとむらとしげる竹(たか)むら黄に照りてわれのそがひに冬日かたむく
冬さむき日のちりぢりに篁(たかむら)の黄にそよぐこそあはれなりけれ
(1915「小竹林」,斉藤茂吉『あらたま』)
ますぐなるもの地面に生え、
するどき青きもの地面に生え、・・・
(萩原朔太郎「竹」、『月に吠える』1917)
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