もうそうちく (孟宗竹)
学名 |
Phyllostachys edulis (P.heterocycla f. pubescens, P.pubescens, P.heterocycla) |
日本名 |
モウソウチク |
科名(日本名) |
イネ科 |
日本語別名 |
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漢名 |
桂竹(ケイチク,guìzhú)、毛竹(モウチク,máozhú) |
科名(漢名) |
禾本(カホン,héběn)科 |
漢語別名 |
江南竹(コウナンチク,jiangnanzhu)・南竹、茅竹(ボウチク,maozhu)、孟宗竹(モウソウチク,mengzongzhu)、猫竹(ビョウチク,maozhu)・猫頭竹、狸頭竹、楠竹(ナンチク,nanzhu)、江南竹・南竹毛竹、五月季竹 |
英名 |
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2024/04/19 薬用植物園 |
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2005/04/26 跡見学園女子大学新座キャンパス |
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2005/05/18 同上 |
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2005/06/09 同上 |
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2005/03/04 同上 |
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2006/06/07 京都化野(あだしの) 念仏寺近傍 |
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辨 |
マダケとよく似ているが、モウソウチクは 節の輪が一つ、マダケは二つ。
キッコウチクなど、多くの品種がある。 |
マダケ属 Phyllostachys(剛竹 gāngzhú 屬)については、マダケ属を見よ。 |
訓 |
和名のモウソウチクは琉球における呼称から。三国・呉の孝子・孟宗の故事に因む。
すなわち、「孟宗の母、筍を嗜(この)む。母の亡くなるに及び、冬節、将に至らんとして、筍、尚お未だ生ぜず。(孟)宗、竹に入りて哀歎すれば、筍、之が為に出で、以て供祭するを得たり。至孝の感なり」と(『芸文類聚』89「竹」引『楚国先賢伝』)。 |
説 |
河南・陝西・長江流域に分布。多く南向きの丘の斜面に栽培され、漢土では全竹林の70%を占める。
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日本への渡来は、一説に享保13(1728)年(長岡京市)、一説に元文1(1736)年(鹿児島市郊外)。 |
誌 |
文化史は、たけをも見よ。 |
中国では、葉・根茎・葉を薬用にする。『全国中草葯匯編』下/857 また、ハチクの誌を見よ。 |
筍を食用にするのに最も美味なタケで、今日タケノコといえばこの種のものを指す。通常3月下旬ころから採るが、この春筍に対して 冬の地中から掘り出したものを冬筍といい、中国では冬の美味の代表(冬筍・冬菇・冬菜を三冬と言う)の一。
稈は各種の工芸品・建築資材などの材料とするほか、製紙素材としても用いる。また、竹林は防災林としての機能を果たす。 |
『花壇地錦抄』(1695)巻三「竹のるひ」寒竹(かんちく)の条に、「寒の中筍(たけのこ)生ルゆへ、又孟宗竹共云」と。この寒竹は、今日のカンチク C.marmorea やモウソウチクではあるまいが、ともかく孟宗竹の名が見える。 |
「彼の廿四孝の孟宗は、母のために雪の地下深く竹の芽、すなわち筍を掘って有名であるが、筍は降雪期の前、すでに地下深く萌芽しているから、別にふしぎなことではない。
京阪の一流料理屋が暮の中から、初春から、はしりものとして客の膳に出しているのが、すなわち、それである。その味は出盛り季節の美味ではないが、これはこれで一種棄てがたい風味があって、充分珍重に値する。
しかし、筍も産地による持ち味の等差というものの甚だしいのに驚く。もとより京阪は本場である。関東のそれは場違いとしたい。目黒の筍など名ばかりで、なんの旨味もない。京都では、洛西の樫原が古来第一となっている。その附近に今ひとつ、向日町という上等地がある。洛東の南、伏見稲荷の孟宗藪も近来とみに上物ができて、樫原に劣らぬと自慢している。
しかし、私の経験ではなんと言っても樫原の優良種がよい。噛みしめて著しい甘味があり、香気がすこぶる高い。繊維がなくて口の中で溶けてしまう。
これを季節の味で食えば本来たまらなく美味いが、近来は到るところ料理屋の激増によって料理屋向きを目当てに、廿四孝が掘り出したであろうところの稚筍、すなわち若芽(百匁四、五本のもの)を掘り尽くしてしまい、いよいよという季節の来た時分は、藪に一本もない始末。従って本場の季節ものは、台所などへは顔を見せてくれない。
ゆがいた筍を永く水に浸しておくのは、味を知らない人のすること、掘って間のない本場ものなら、京都人は、ゆでないでそのまま直ぐに煮て、少しも逃げない味を賞味している。煮冷えすると白い粉が吹いているが、平気で美味さをよろこぶ風がある。
新しい筍を煮るのに、醤油、砂糖でできた汁を筍の肉深く滲み込ませるのは考えものである。日の経った筍や缶詰ものならばそれもよいが、堀りたてのものであってみれば、煮汁を滲みこませないよう中身は白く煮上げるのが秘訣である。
こうしてこそ筍の持つ本来の甘味と香気が生き生きと動いて、春の美菜のよろこびがあると言うもの。しかし、関東のものは本場並みにはいきかねる点もあるから、そこは筍次第で、人おのおのの工夫を要するものとしたい。孟宗の終るころ、はちく・やだけ・まだけが出て、孟宗の大味にひきかえ、乙な小味を楽しませてくれる。」(北大路魯山人『魯山人味道』「筍の美味さは第一席」1938) |
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