辨 |
Camellia sinensis には、次のような種内分類群がある。
アッサムチャ(ホソバチャ) var. assamica(C.assamica, C.multisepala;
普洱茶・苦茶・多萼茶;E.Assam tea) 『週刊朝日百科 植物の世界』7-132
var. dehungensis 雲南産
var. pubilimba(C.angustifolia, C.parvisepala;
白毛茶・狹葉茶・細萼茶) 雲南・廣西産
チャノキ var. sinensis(茶;E.Chinese tea) 『週刊朝日百科 植物の世界』7-132
ベニバナチャ f. rosea 『週刊朝日百科 植物の世界』7-131
トウチャ f. macrophylla 『週刊朝日百科 植物の世界』7-132
var. waldensae(香花茶) 兩廣産
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ツバキ属 Camellia(山茶 shānchá 屬)については、ツバキ属を見よ。 |
訓 |
漢土では、もと苦荼(クト,kŭtú)と呼んだ。
荼(ト,tú)とは、体をリラックスさせてくれる薬草の意といい、ニガナ・ノゲシ・チガヤの穂・オギの穂・チャなどを含んだ。 |
茶(チャ,chá)は唐代に作られた文字、『開元(713-741)文字音義』に初出(陸羽『茶経』)。
荼の一画を減じて茶の字を作り、チャの意に用いた。 |
小野蘭山『本草綱目啓蒙』(1806)28 茗に、「メサマシグサ チヤ 草人木茶人ノ隠名」と。 |
欧米語のチャには、廣東語の ch'a に由来するものと、福建語の tay, te に由来するものとがある。英仏独語やオランダ語、学名などは、後者に属する。
なお、ボヘア Bohea というのは、武夷の訛。 |
説 |
原産地については諸説があるが、およそ漢土南部から東南アジア・ヒマラヤにかけての照葉樹林帯であろうとされる。
今日の中国では、長江以南の山地に野生し、華中(湖北・湖南)・華南(廣東・廣西)で盛んに栽培されている。 |
誌 |
嫩葉を蒸しまたは醗酵させて乾し、湯を注いで浸出液(茶)を飲用にする。カフェイン・タンニン・カテキンなどを含み、疲労回復・利尿などの効果があるので、もと薬用に用いたが、いまはもっぱら嗜好飲料とする。
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「茶は生葉でなく、加工されてから使用される。その加工をみると、大きく分けて発酵の程度にいろいろの差がある。無発酵の加工の代表は日本の茶であるが、台湾には半発酵のウーロン茶がある。シナ南部にはこんにちの紅茶型の発酵茶があり、さらに南方には強発酵茶が見いだされる。ビルマ北部のカチン族を中心とし、南はバンコック、西はアッサムにいたる間に点々と見いだされるレーペットと呼ばれるものは強度の発酵茶で、漬物のように食用にされ、飲用にもされている。このレーペットは、はじめ茶(Thea
sinensis)を原料としたものでなく、ごく近縁の植物 (Camellia kissi)を原料としたとされている。その製法は湯通しした生葉を竹筒につめ、土中に一年以上埋めて発酵させたものである。」(中尾佐助『栽培植物と農耕の起源』) |
漢土における飲茶(喫茶)の風は漢代に遡り、六朝時代に次第に広まった。唐代には飲料として広く普及し、陸羽により『茶経』が著された。唐宋の時代は抹茶が主流であり、蒸した茶を乾し、茶臼で粉に挽いて飲用にした。明以降は緑茶が主流となり、今日に至る。 |
日本に茶が導入されたのは、遣唐使によってであったらしい。『日本後紀』に、弘仁6年(815)6月 僧永沖が嵯峨天皇に茶を煎じて献じたことが載せられている。
しかし喫茶の風が本格的に行われるようになったのは鎌倉時代以降。すなわち、建久2年(1191)7月 栄西(1141-1215)は 宋から抹茶の茶法と茶種を将来した。その一部が京都の明恵上人に贈られ、栂尾(とがのお)・宇治を中心に各地で茶を栽培するようになった。室町時代には、芸能としての茶の湯が形成され、後に千利休(1522-1591)によって侘び茶として茶道が完成された。
江戸時代の初め、亡命僧隠元隆琦(1592-1673)は煎茶をもたらし、今日の緑茶全盛に道を開いた。
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ヨーロッパに茶が入ったのは17世紀前半である。はじめ薬用であったが、17世紀後半にイギリス王室の飲料となった。18世紀中に一般庶民にまで普及したが、それとともに好みが緑茶から紅茶に移った。
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夏も近づく八十八夜、
野にも山にも若葉が茂る。
「あれに見えるは茶摘じゃないか。
あかねだすきに菅の笠。」・・・
(文部省唱歌「茶摘」1912)
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