花の木ならぬは、かへで。かつら【カツラ】。五葉【ゴヨウマツ】。
そばの木【カナメモチ】、しなな(品無)き心地すれど、花の木どもち(散)りはてて、おしなべてみどりになりたるなかに、時もわかず、こきもみぢのつやめきて、思ひもかけぬ青葉の中よりさし出でたる、めづらし。
まゆみ【マユミ】、さらにもいはず。そのものとなけれど、やどり木【ヤドリギ】といふ名、いとあはれなり。さか木【サカキ】、臨時の祭(11月の賀茂の臨時の祭;3月の石清水の臨時の祭)の御神楽のをりなど、いとをかし。世に木どもこそあれ、神の御前のものと生ひはじめけむも、とりわきてをかし。
楠の木【クス】は、木立おほかる所にも、ことにまじ(交)らひた(立)てらず、おどろおどろしき思ひやりなどうとましきを、千枝にわかれて恋する人のためしにいはれたる(「和泉なる しのだの森の 楠の木の 千枝にわかれて 物をこそ思へ」古今六帖二)こそ、たれかは数を知りていひはじめけんと思ふにをかしけれ。
檜の木【ヒノキ】、またけぢか(気近)からぬものなれど、三葉四葉の殿づくり(「この殿は むべも富みけり さき草の 三葉四葉に 殿造りせり」催馬楽)もをかし。五月に雨の声をまなぶらん(方干「長潭五月雨氷気を含み、孤檜終宵雨声を学ぶ」)もあはれなり。
かへで【カエデ】の木のささやかなるに、もえいでたる葉末のあかみて、おなじかたにひろごりたる、葉のさま、花も、いと物はかなげに、虫などの乾(か)れたるに似てをかし。
あすはひの木【アスナロ】、この世にちかくもみえきこえず。御岳にまうでて帰りたる人などのもて来める、枝ざしなどは、いと手ふれにくげにあら(荒)くましけれど、なにの心ありて、あすはひの木とつけけむ。あぢきなきかねごと(予言)なりや。たれにたのめたるにかとおもふに、きかまほしくをかし。
ねずもちの木【ネズミモチ】、人なみなみになるべきにもあらねど、葉のいみじうこまかにちひさきがをかしきなり。楝(あふち)の木【センダン】。山橘【ヤブコウジ】。山梨の木【ナシ】。
椎の木【シイ】、常磐(ときは)木はいづれもあるを、それしも、葉がへ(滅)せぬためしにいはれたるもをかし。
白樫【シラカシ】といふものは、まいて深山(みやま)木のなかにもいとけどほ(気遠)くて、三位二位のうへのきぬ染むるをりばかりこそ、葉をだに人の見るめれば、をかしきこと、めでたきことにとりいづべくもあらねど、いづくともなく雪のふりおきたるに見まがへられ(柿本人麻呂「あしひきの 山路も知らず 白樫の 枝にも葉にも 雪の降れれば」拾遺集)、素盞嗚尊(すさのをのみこと)出雲の国におはしける御ことを思ひて、人丸がよみたる歌(上記の歌を言うか)などを思ふに、いみじくあはれなり。をりにつけても、ひとふし(一節)あはれともをかしとも聞きおきつるものは、草・木・鳥・虫もおろかにこそおぼえね。
ゆづり葉【ユズリハ】の、いみじうふさやかにつやめき、茎はいとあかくきらきらしく見えたるこそ、あやしけれどをかし。なべての月には見えぬ物の、師走のつごもりのみ時めきて、亡き人のくひもの(十二月晦日に亡魂を祭る)に敷く物にやとあはれなるに、また、よはひを延ぶる歯固め(新年に長寿を祈り餅・猪肉・押鮎などを食う)の具にももてつかひためるは。いかなる世にか、「紅葉せん世や」といひたる(「旅人に 宿かすが野の ゆづる葉の 紅葉せむ世や 君を忘れむ」古今六帖拾遺)もたのもし。
柏木【カシワ】、いとをかし。葉守の神のいますらんもかしこし。兵衛の督・佐・尉などいふ(柏木は衛府の官の異名)もをかし。
姿なけれど、椶櫚(すろ)の木【シュロ】、唐めきて、わるき家の物とは見えず。
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