辨 |
日本語では、栽培されるイネ科の穀物のうち、イネ・アワ・キビ・ヒエ以外のものを総称してムギと言い、次のようなものがある。
和名 |
漢名 |
英名 |
学名 |
オオムギ(六条種) |
大麥 |
Barley |
Hordeum vulgare |
オオムギ(二条種) |
大麥 |
Barley |
Hordeum distichum |
コムギ |
小麥 |
Wheat |
Triticum aestivum |
ライムギ |
黑麥 |
Rye |
Secale Cereale |
エンバク |
燕麥 |
Oat |
Avena sativa |
ハトムギ |
薏苡 |
Job's tears |
Coix lachryma-jobi var. mawyuen |
トウムギ(トウモロコシ) |
玉蜀黍 |
Maize |
Zea mays |
(加えて、イネ科の植物のうち、イヌムギ・ネズミムギ・ホソムギ・ドクムギ・エゾムギ・ハマムギなどの雑草も、麦に似ていることからむぎの名を持つ。)
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訓 |
麥(麦,バク,mài)の字の成り立ちは「來(来,ライ,lái)+夊(スイ,suī)」、來は穂を出したムギの象形文字、夊は足の形。
一説に、麦踏みの意であろう(白川)。
一説に、「遠くから歩いてもたらされたムギ」の意(ムギが外来であることを言う)。本来、來が「ムギ」、麥が「くる」意であったが、入れ替った(藤堂)。 |
『倭名類聚抄』に、麦は「和名牟岐。今案大小麦之揔名也」、大麦は「和名布土無岐、一云加知加太」、小麦は「和名古牟岐、一云末牟岐」などとある。
和名ムギの語源については、『日本国語大辞典 第二版』を参照。 |
「雑穀という言葉は、英語ではミレット、ドイツ語ではヒルセであるが、日本語の"ザッコク"はむりに作った言葉である。これに対して日本語の"ムギ"という言葉の中には、コムギ、オームギ、ライムギ、エンバクなどを一括するのに、かえってそれらを主作としている西洋には"ムギ"に対応する言葉がない。これは両方とも、一度成立したそれぞれの農耕文化基本複合の上に、あらたな作物群の波を受けたとき、新しい作物グループにだけ総括名が生じた結果であろう。東洋では雑穀よりムギが新しく、西洋ではムギより雑穀が新しいのだ。このようにムギと雑穀は、根本的にそれぞれ異なった文化複合から起源したものである。」(中尾佐助『栽培植物と農耕の起源』) |
説 |
オオムギ・コムギの起源・栽培については、それぞれの項目を見よ。
ライムギは、トルコ・イランの原産、アフガニスタンで品種が分化した。栽培され始めたのはB.C.3000-B.C.2500ころ、1世紀ころまでにヨーロッパに広まった。東方への伝播は遅く、日本に入ったのは明治時代。
エンバク(燕麦・マカラスムギ・オートムギ)は、カラスムギから改良されたもので、中央アジア・アルメニア地方の原産。日本には明治初に渡来。 |
誌 |
中国では、麦は五穀の一。 |
『詩経』には、麥が7篇に、來が2編に、牟(ボウ,móu)が2編に歌われている。
そのうち、麥はオオムギ・コムギの総称、來はコムギ、牟はオオムギ、という。
国風・鄘風(ようふう)・桑中に、「爰(ここ)に麦を采(と)る、沫(まい)の北に」と。鄘風・載馳に、「我其の野を行くに、芃芃(はうはう)たる其の麦あり」と。 |
『礼記』「月令」に、麦の農事暦を載せて、
三月、麦の為に実りを祈る。
四月、農乃ち麦を登(すす)む。天子乃ち彘(テイ,ぶた)を以て麦を嘗め、先づ寝廟に薦む。
八月、麦を種うるを勧め、時を失ふ或る毋からしむ。
『大戴礼』「夏小正」三月に「麦実を祈る。〔麦の実は、五穀の先づ見(あらは)るる者なり。故に祈るを急ぎて之を記すなり。〕」と、また九月に「栄鞠(キク)あり。〔鞠は草なり。鞠 栄(はな)さきて麦を樹(う)う。時の急なるなり。〕」と。 |
『礼記』「内則」に、麦食(バクシ,むぎめし)の食い方が載る。曰く、干肉のあつものや鶏のあつものと合せて食う、と。 |
後漢の頃からオオムギ・コムギの区別が一般化し、それ以降は麥はコムギを表すようになった。 |
日本では、『古事記』上に、須佐之男命(すさのおのみこと)に殺された大気津比売(おおげつひめ)の体から五穀が生じたという。すなわち「故(かれ)、殺さえし神の身に生(な)れる物は、頭に蚕生り、二つの目に稲種生り、二つの耳に粟生り、鼻に小豆生り、陰(ほと)に麦生り、尻に大豆生りき」と。この麦はオオムギ(六条種)であるらしい。
『日本書紀』神代第5段一書第11に、保食神(うけもちのかみ)に関わる同様の説話が載る。
『万葉集』に、
うませ(馬柵)越しに麦は(食)む駒の詈(の)らゆれど猶し恋しく思(しの)びがてなく
(12/3096,読人知らず)
くへ(垣)ごしにむぎ(麦)はむこうま(子馬)のはつはつにあひ見し児らしあやにかな(愛)しも
(14/3537,読人知らず)
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麦はえてよき隠家や畠村 (芭蕉,1644-1694)
田や麦や中にも夏のほととぎす (同)
一日(ひとひ)一日麦あからみて啼(なく)雲雀 (同)
麦めしにやつるゝ恋か猫の妻 (同)
いざともに穂麦喰はん草枕 (同)
行(ゆく)駒(こま)の麦に慰むやどり哉 (同。甲斐の山中に立よりて)
つかみ合ふ子供のたけや麦畑 (去来か,『猿蓑』1691)
麦藁の家してやらん雨蛙 (「孫を愛して」,智月,『猿蓑』1691)
麦秋(むぎあき)や鼬(いたち)啼(なく)なる長(をさ)がもと (蕪村,1716-1783)
麦秋や遊行(ゆぎょう)の棺ギ(ひつぎ)通りけり (同)
麦秋や狐のゝかぬ小百姓 (同)
麦の秋さびしき顔の狂女かな (同)
辻堂に死せる人あり麦の秋 (同)
病人の駕(かご)も過けり麦の秋 (同)
麦秋やひと夜は泊る甥法師 (同)
旅芝居穂麦がもとの鏡たて (同)
狐火や五助畠の麦の雨 (同)
舂(うすづく)や穂麦が中の水車 (同)
長旅や駕なき村の麦ぼこり (同)
麦刈て瓜の花まつ小家哉 (同)
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淺くのみ春は霞みて
麥の色わづかに靑し
旅人の群(むれ)はいくつか
畠中の道を急ぎぬ
島崎藤村「千曲川旅情の歌」より
馬鈴薯の花咲き穂麦あからみぬあひびきのごと岡をのぼれば (北原白秋『桐の花』1913)
まはりみち畑にのぼればくろぐろと麦奴(むぎのくろみ)は棄てられにけり
(1913,斉藤茂吉『赤光』1913)
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