辨 |
ジュズダマの栽培品。ジュズダマより殻が柔らかい。
麦については、むぎを見よ。 |
訓 |
和名のハトムギは、近代になってからの呼び方。四国麦は山口県における方言。 |
小野蘭山『本草綱目啓蒙』19(1806)に、「薏苡仁 シコクムギ防州」と。 |
漢土では、むかし種子(薏苡仁)を■{竹冠に贛}(カン,gàn)と呼び、廣東では簳珠(カンシュ,gànzhū)と呼んだ(陶弘景(452-536)『本草経集注』・屈大均(1630-1696)『広東新語』)。 |
ラテン名の lachryma-jobi は『旧約聖書』「ヨブ記」にちなみ「ヨブの涙」、その実の垂れるさまから(英名も同)。
変種名 mayuen は、漢末の漢の武将 馬援(バエン,Mă Yuán)の名から。 |
説 |
東南アジアで栽培が始まり、現地では今日でも主食の一。漢土には、漢末に馬援がインドシナから導入、食用・薬用にし、酒を醸したという。日本には奈良時代に中国から渡来し、享保(1716-1736)年間から薬用として各地で栽培。
なお、ハトムギの澱粉はモチ性。
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中国における第二次世界大戦後の考古学的発掘調査の報告によれば、浙江省河姆渡遺跡から種子が出土したことから、約六千年前から利用されていたとされる。また漢代の遺跡からは栽培種の薏苡が、多く出土しているという。 |
「ハトムギは一年生で種子の殻は薄いが、近縁のジュズダマは多年生で種子の殻は厚い。ジュズダマは根栽文化の伝播したところはポリネシアの東半分を除いてはたいてい伝播したが、この種子は食べることもできるが、むしろ首かざりの材料、おもちゃといった用途が大きく、生じ方はレリクト・クロップの生態である。ところがハトムギはなかなかすぐれた農作物で、栽培品種はおどろくばかり変異に富んでいる。げんざいハトムギの栽培が大きいのはインドのアッサム州のナガ・ヒルの上で、ここにはこれがハトムギかと疑いたくなるほど、形態の変わった品種がある。
ハトムギの栽培化はインドシナ半島のつけねのあたりに発生したものとおもわれ、その時代はイネ作農業がその地に伝播してくる直前の時代と推定される。ハトムギの栽培は水田でなく、陸上の焼畑で、それはすぐ陸稲に入れ替えられる運命にあった。」(中尾佐助『栽培植物と農耕の起源』) |
誌 |
中国では、精白した種子を薏苡仁(yìyĭrén,よくいにん)・薏米(ヨクベイ,yìmĭ)と呼び、薬用にする。『中薬志Ⅱ』pp.488-490 『(修訂) 中葯志』III/698-701
日本では、生薬ヨクイニン(薏苡仁)は ハトムギの種皮を除いた種子である(第十八改正日本薬局方)。
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伝説に、禹の母は 薏苡を呑んで、禹を生んだという(『史記』『論衡』)。 |
『詩経』国風・周南・芣苢(フイ,fúyĭ)に、「芣苢を采(と)り采る、薄(しばら)く言(ここ)に之を采る」とある芣苢は、普通オオバコとするが、一説にハトムギという。 |
唐代には、コメと同じように、炊いたり粥にしたりして食われていた。 |
宮崎安貞『農業全書』(1696)に、「五穀の類」の一として「薏苡(よくい)」をあげ、
「薏苡是二種あり。其粒細長く、皮うすく、米白く粘りて糯米のごとくなるが、真薏苡なり。薬にもこれを用ゆべし。一種又丸く、皮厚く、実は少くかたきあり、うゆべからず。又一種菩提子(ぼたいし)とて大きなるあり。珠数とす。・・・実は薏苡仁と云ふ。薬種なり。性のよき物なり。病人の食物に調へて用ゆべし。粥になり、飯に交へ、だんごにしたため、様々料理多し。葉を米にまぜ、飯に調ずれば、その香早稲米のごとし。茶を煎ずるに葉を少し入れば香よく味もます物なり」(岩波文庫本)と。 |
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