辨 |
Setaria italica には、次のような変種を区別する。
オオアワ var. maxima (粱 liáng;E.Italian millet)
コアワ var. germanicum (粟 sù ; E.German millet)
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アワ属(エノコログサ属) Setaria(狗尾草 gŏuwěicăo 屬)については、アワ属を見よ。 |
訓 |
中国において古来穀物を表してきたさまざまなことば(文字)については、五穀を見よ。
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粟(ゾク,sù)は、もと「ぱらぱらとした小さな穀物の実」の意。後に農業が発展して単作農耕へと移行すると、北方の粟作地帯ではアワを表す文字として用いられた。 稷(ショク,jì)は、漢代にはアワ、唐代にはキビ。一説にコーリャン。
粱(リョウ,liáng)は「美味な穀物」の意、具体的にはアワ、ことに大粒で良質のアワ。 |
『本草和名』に、粟米は「和名阿波乃宇留之祢」、青粱米は「和名阿波乃与祢」、白粱米は「和名之呂岐阿波」、秫米は「和名阿波乃毛知」と。
『倭名類聚抄』に、粟は「和名阿波」、粱米は「和名阿波乃宇留之禰」と。
小野蘭山『本草綱目啓蒙』19 に、「粱 オホアワ シゝクハズ サルアハ オニアハ シマアハ ケアハ」、「粟 アハ コアハ ウルアハ ヱノコアハ大和本草」、「秫 もちあは」と。 |
「和名あはハ五穀中味淡ケレバ名クト云フ、眞乎否乎、又蓋シ禾ノ朝鮮音ほあト同源ナラントモ謂ヘリ」(『牧野日本植物圖鑑』)。 |
説 |
エノコログサ Setaria viridis から作り出された栽培植物。
原産地は、通説では中国とするが、中尾はインド説を唱える。
「アワの原産地は通説はシナが有力視されているが、そうではないだろう。インドではアワの栽培はげんざいではまれといいたいほどはなはだすくないが、古代ではそうでない。インド古典にテナイ(Thenai)の名で登場し、小さいことのたとえに引用されている。インド古典でアワが登場する回数はイネとほとんど同じくらいであり、その頃にはインドではアワとイネが相対するほどの重要性をもっていたと推定されている。それにインドでは野生のアワ属の種子を集めて食用とする例が多く、また同属のセタリア・グラウカ(S.
glauca)という種類がボンベイ州で栽培化されている。このようにアワ属利用の多様性はインドに見られ、アワの原産地はインドと見なすのがよい。」(中尾佐助『栽培植物と農耕の起源』) |
「現在ではアワをいちばん重要視している地域は北シナ」(中尾佐助「農業起源論」)。
中国では、B.C.2700ころにはすでに栽培されていた重要な主食用穀物。また酒を醸す。
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日本には、おおあわとこあわの二種があり、普通栽培されているものは殆どおおあわ(梁)だが、字は粟を用いている。いずれにも粳(ウルチ)と糯(モチ)がある。 |
誌 |
古代中国におけるアワについては、五穀を見よ。 『爾雅』釋草に、「粢(シ,zī)、稷(ショク,jì)」と、郭璞注に「今江東人、呼粟爲粢」と。 |
熟した穎果の発芽したものを、粟芽・(北方では)穀芽と呼び、薬用にする。『中薬志Ⅱ』pp.162-166 『全国中草葯匯編』下/339 |
日本には縄文時代までに入っていて、イネ伝来以前の主食であった。
今日、糯粟は餅・飯・飴・焼酎・酒精・菓子パン等に用いる。粳粟は、多くは家畜の飼料にする。 |
あわもち(粟餅)は、「等量のモチ米と粟とを別々に洗い、粟は笊に打揚げ、モチ米は一夜水につけてから打揚げるがよい。まぜあわせてコシキにかけ、普通の餅と同じにつく。餡をつけても黄粉をつけても、つきたては柔らかくて軽く、米粉をまぶして保存しておくと、焼いても雑煮にしても軽い味が賞味せられる」(本山荻舟『飲食事典』)。
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あわめし(粟飯)は、「精粟を洗って笊に打揚げ水を滴らしおき、等量の米を洗って仕掛け、水加減は粟だけの量を余分に入れ、噴きあがったとき粟をいれ、表面をかきならすだけでかきまわさず、手早く蓋をして炊きあげ、しばらく蒸らしてからかきまぜ、飯櫃に取る。冷めると硬くなるからなるべく温いうちに食べる」(本山荻舟『飲食事典』)。
あわがゆ(粟粥)は、「粟をざっと洗って笊に揚げおき、別に等量の米を洗って釜に入れ、適宜に水加減して噴上るころ粟をいれ、火を細めて炊きこむ。その間に蓋を取ることは禁物で、少し硬いくらいを度として火を引き、十分に蒸らす」(本山荻舟『飲食事典』)。 |
あわおこし(粟おこし)は、「おこし種の糯粟を飴または蜜でつなぎ固めて乾した菓子で、大阪の名物とされ、質が固いので岩おこしと訛(ナマ)り、また福おこしなどと名づけて、種々に工夫するうち、オコシ種も粟のみでなく、糯米・粳米・道明寺糒・餅あられ・落花生などを用いるようになり、東京の雷おこしには黒豆の入ったのもある。オコシ種は穀類を一旦蒸して乾燥し、焙炉(ホイロ)にかけて膨ませるので、炒(イ)り種ともいう」(本山荻舟『飲食事典』)。イネの誌、オコシの項を見よ。 |
あわづけ(粟漬)は、「粟に生薑(ショウガ)をきざみこみ、その中にイワシ・コハダなどの酢漬にしたものを漬けこんだもの。好みで蕃椒(トウガラシ)をもきざみこむ」(本山荻舟『飲食事典』)。 |
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『万葉集』に、
なし(梨)棗(なつめ) きみ(黍)に粟(あは)嗣ぎ 延(は)ふ田葛(くず)の
後もあはむと 葵(あふひ)花咲く (16/3834,読人知らず)
ちはやぶる 神の社し 無かりせば 春日の野辺に 粟まかましを
春日野に 粟まけりせば 鹿待ちに 継ぎて行かましを 社し留むる
(3/404;405,娘子と佐伯赤麿の贈答歌。粟蒔くと逢はまくをかける)
あしがら(足柄)の はこね(箱根)のやま(山)に あは(粟)ま(蒔)きて
実とはなれるを あ(逢)はなくもあやし (14/3364,読人知らず)
さなつらの(不詳) をか(岡)にあは(粟)ま(蒔)き かなしきが
こま(駒)はたぐとも わ(吾)はそとも(追)はじ (14/3451,読人知らず)
初めの歌は、百姓仕事に伴う草木ずくしを装った恋の歌。続く4首は みな粟を蒔くとあるが、男女の色事の譬喩か。 |
よき家や雀よろこぶ背戸の粟 (芭蕉,1644-1694)
粟稗にまづしくもなし草の庵 (同)
粟稗と目出度なりぬはつ月よ (半残,『猿蓑』1691)
耕(たがやし)や五石の粟のあるじ顔 (蕪村,1716-1783)
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白ざれの粟稈畠(あはがらばた)に立ちとまり何思ひしか今忘れたり
(島木赤彦『馬鈴薯の花』)
いちめんにふくらみ円(まろ)き粟畑(あははた)を潮ふきあげし疾(はや)かぜとほる
(1914「三崎行」,斉藤茂吉『あらたま』)
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本山荻舟『飲食事典』に、粟餅・粟飯・粟粥・粟おこし・粟飴・粟漬について解説が載る。 |