あわ (粟) 

学名  Setaria italica
日本名  アワ
科名(日本名)  イネ科
  日本語別名  
漢名  粱(リョウ,liáng)
科名(漢名)  禾本(カホン,heben)科
  漢語別名  粟(ショク,sù)・黃粟、小米(ショウベイ,xiaomi)、穀子(コクシ,guzi)
英名  Foxtail millet, Italian millet, German millet
2005/08/05  東大農園
トラノ尾 細アワ 善光寺 津軽早生

 Setaria italica には、次のような変種を区別する。

  オオアワ var. maxima (粱 liáng;E.Italian millet)
  コアワ var. germanicum (粟 sù ; E.German millet)
   
 アワ属(エノコログサ属) Setaria(狗尾草 gŏuwěicăo 屬)については、アワ属を見よ。
 中国において古来穀物を表してきたさまざまなことば(文字)については、五穀を見よ。
 そのうち、(コク,gu)
(カ,he)は、古く雑穀が山地で混栽されていた時代には、穀類の総称であった。は「堅い殻に包まれた穀物の実」の意、は「穂を垂れた穀物(ことにはアワ)の株」の象形文字。また(ゾク,su)も「ぱらぱらとした小さな穀物の実」の意。後に農業が発展して単作農耕へと移行すると、北方の粟作地帯ではアワを表す文字として穀・禾・粟が、南方の稲作地帯ではイネを表す文字として穀・禾が用いられた。
 (ベイ,mi)は「穀物の小さい粒粒」を表す象形文字、一般に脱穀した穀物を指す。
 (ショク,ji)は、漢代にはアワ、唐代にはキビ。一説にコーリャン
 (リョウ,liang)は「美味な穀物」の意、具体的にはアワ、ことに大粒で良質のアワ。
 日本では、深江輔仁『本草和名』(ca.918)に、粟米は「和名阿波乃宇留之祢」、青粱米は「和名阿波乃与祢」、白粱米は「和名之呂岐阿波」、秫米は「和名阿波乃毛知」と。
 源順『倭名類聚抄』
(ca.934)に、粟は「和名阿波」、粱米は「和名阿波乃宇留之禰」と。
 小野蘭山『本草綱目啓蒙』19(1806)に、「粱 オホアワ シゝクハズ サルアハ オニアハ シマアハ ケアハ」、「粟 アハ コアハ ウルアハ ヱノコアハ
大和本草」、「秫 もちあは」と。
 エノコログサ Setaria viridis から作り出された栽培植物。
 原産地は、通説では中国とするが、中尾はインド説を唱える。
 
「アワの原産地は通説はシナが有力視されているが、そうではないだろう。インドではアワの栽培はげんざいではまれといいたいほどはなはだすくないが、古代ではそうでない。インド古典にテナイ(Thenai)の名で登場し、小さいことのたとえに引用されている。インド古典でアワが登場する回数はイネとほとんど同じくらいであり、その頃にはインドではアワとイネが相対するほどの重要性をもっていたと推定されている。それにインドでは野生のアワ属の種子を集めて食用とする例が多く、また同属のセタリア・グラウカ(S. glauca)という種類がボンベイ州で栽培化されている。このようにアワ属利用の多様性はインドに見られ、アワの原産地はインドと見なすのがよい。」(中尾佐助『栽培植物と農耕の起源』)
 中国では、B.C.2700ころにはすでに栽培されていた重要な主食用穀物。また酒を醸す。
 日本には縄文時代までに入っていて、イネ伝来以前の主食であった。現在栽培されているものは、ほとんどオオアワである。
 古代中国におけるアワについては、五穀を見よ。
 熟した穎果の発芽したものを、粟芽・(北方では)穀芽と呼び、薬用にする。『中薬志Ⅱ』pp.162-166 
 『爾雅』釋草に、「粢(シ,zi)、稷(ショク,ji)」と、郭璞注に「今江東人、呼粟爲粢」と。
 『万葉集』に、

   なし
(梨)(なつめ) きみ(黍)に粟(あは)嗣ぎ 延(は)ふ田葛(くず)
      後もあはむと 葵
(あふひ)花咲く (16/3834,読人知らず)
   ちはやぶる 神の社し 無かりせば 春日の野辺に 粟まかましを
   春日野に 粟まけりせば 鹿待ちに 継ぎて行かましを 社し留むる
      
(3/404;405,娘子と佐伯赤麿の贈答歌。粟蒔くと逢はまくをかける)
   あしがら
(足柄)の はこね(箱根)のやま(山)に あは(粟)(蒔)きて
      実とはなれるを あ
(逢)はなくもあやし (14/3364,読人知らず)
   さなつらの
(不詳) をか(岡)にあは(粟)(蒔)き かなしきが
      こま
(駒)はたぐとも わ(吾)はそとも(追)はじ (14/3451,読人知らず)

 初めの歌は、百姓仕事に伴う草木ずくしを装った恋の歌。続く4首は みな粟を蒔くとあるが、男女の色事の譬喩か。

   よき家や雀よろこぶ背戸の粟 
(芭蕉,1644-1694)
   粟稗にまづしくもなし草の庵 
(同)

   粟稗と目出度なりぬはつ月よ 
(半残,『猿蓑』1691)

   耕
(たがやし)や五石の粟のあるじ顔 (蕪村,1716-1783)
 

   白ざれの粟稈畠
(あはがらばた)に立ちとまり何思ひしか今忘れたり
     
(島木赤彦『馬鈴薯の花』)

   いちめんにふくらみ円
(まろ)き粟畑(あははた)を潮ふきあげし疾(はや)かぜとほる
     
(1914「三崎行」,斉藤茂吉『あらたま』)
 

2004/06/24 薬用植物園 2004/08/01 同左
2007/08/13 同上

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