辨 |
茎・葉はモロコシによく似るが、モロコシは傷つくと濃紅褐色の斑ができるのにたいして、トウモロコシではできない。 |
トウモロコシ属 Zea(玉蜀黍 yùshŭshŭ 屬)には、新大陸に2-7種がある。
Z. diploperennis 1977メキシコで発見 多年生
A. mays
トウモロコシ subsp. mays(玉蜀黍)
テオシント(ブタモロコシ) subsp. mexicana(Z.mexicana, Euchlaena mexicana;
類蜀黍)
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トウモロコシには、多くの変種乃至品種がある。
ソフトコーン amylacea
ワキシーコーン(モチトウモロコシ) ceretina 澱粉がアミロペクチンのみからなる
(他の亜種はアミロースとアミロペクチンからなる)
ポップコーン 'Everta'(var.everta) 小さい穀粒は、加熱すると蒸気爆発する
デントコーン var. indentata
フリントコーン indurata 澱粉質の胚乳を持つ。普通のトウモロコシ。未熟なものを蔬菜とする
フイリトウモロコシ 'Japonica'
スイートコーン var. saccharata 未熟な胚乳に甘みがある
ポッドコーン trunicata |
現在見られるものは全て栽培型。
考古学的に発掘されたものには、穂の小さい野生型のものがある。 |
麦については、むぎを見よ。
イネ科 Poaceae(Gramineae;禾本 héběn 科)については、イネ科を見よ。 |
訓 |
小野蘭山『本草綱目啓蒙』19(1806)に、「玉蜀黍 ナンバン ナンバンキビ ナンバキビ播州 クハシンキビ同上 トウモロコシ東国 サツマキビ備前 タカキビ因州 コウライキビ讃州 トウキビ筑前加州 ナンバントウノキビ遠州 クハシキビ越後 トウキミ奥州 キミ南部 ハチボク勢州 マメキビ越後 タマキビ」と。 |
英名及び種小名は、アメリカ原住民タイノー族の mahiz, mayz から。 |
説 |
コムギ・イネとともに世界三大穀物の一。
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中央アメリカ(メキシコ南西部~グワテマラ)で、7000B.C.-5000B.C.ころテオシントから生みだされた栽培種。 古くから現地の主食であり、5000B.C.頃には中央アメリカで栽培されていたという。 |
ヨーロッパには15世紀末コロンブスが持ち込んだ。
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南・東南・東アジアには、ポルトガル人によって15-16世紀にもたらされた。
中国には1516年に伝えられ、『本草綱目』(1578)に「種は西土に出づるも、種(ウ)うるものまた罕(マレ)」と記載されている。田藝衡『留青日札』(1563)には、西番からもたらされたので番麦といい、またかつて進御を経たので御麦というとある。
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日本に伝来したのは天正7年(1579)、トウモロコシの名は『本朝食鑑』(1695)に見える。
本格的に栽培されだしたのは明治初、北海道にアメリカ種を導入してから。 |
誌 |
中国では、乾燥した花柱・柱頭を玉米鬚(ギョクベイシュ,yùmĭxū)と呼び薬用にする。『(修訂) 中葯志』V/198-201 『全国中草葯匯編』下/171-172 |
宮崎安貞『農業全書』(1696)に、「又一種玉蜀黍(なんばんきび)と云ふあり。種ゆる法 前(モロコシ)に同じ。其粒玉のごとし。菓子にすべし。・・・」(岩波文庫本)と。 |
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玉蜀黍(もろこし)の穂は思ふことなきやうに夕日の風に揺り眠るかな
(島木赤彦『馬鈴薯の花』)
函館の友人からトウモロコシが届いた。近郊の農家からもぎたてを手に入れてきたという。「そのまま生で」と、電話口の声がはずんでいた。
初めての体験なので、おそるおそるかじったら、草の香りのあと口の中に甘みが広がった。それからは、ざくざくほおばった。トウモロコシ畑に入り込み、好物をむさぼっている馬の気分になった。
馬で思い出した。その1週間前、中国東北部のハルビンを旅行した時に、路上で焼いていたトウモロコシを食べた。ぱさぱさとした粒をかみしめながら、甘くなるのを待った。「まるで飼料だ」と、思わずつぶやいた。
ハルビン郊外の農村地帯を回ると、広大なトウモロコシ畑が広がっていた。刈り取ったトウモロコシの茎は干して燃料に使い、葉は家畜の飼料にするという。むだのない作物だと農家のあるじは言っていた。味どころではないのだろう。 ・・・ (高成田享、2006/08/01 朝日新聞夕刊「窓」) |
群芳譜の著者から:トウモロコシは、日本でも「むだのない作物」だったようですよ。 |
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