望郷の
歌  

作者名  薄田泣菫 (1877-1945)
作品名  望郷の歌
制作年代  1906
収載書名  白羊宮
刊行年代  1907
 その他  

 
わが故郷
(ふるさと)は、日の光蟬の小河にうはぬるみ、
在木
(ありき)の枝に色鳥(いろどり)の咏(なが)め聲(ごゑ)する日ながさを、
物詣
(ものまうで)する都女(みやこめ)の歩みものうき彼岸會(ひがんゑ)や、
桂をとめは河しもに梁誇
(やなぼこ)りする鮎汲みて、
小網
(さで)の雫に淸酒(きよみき)の香をか嗅ぐらむ春日なか、
櫂の音
(と)ゆるに漕ぎかへる山櫻會(やまざくらゑ)の若人が、
瑞木
(みづき)のかげの戀語り、壬生(みぶ)狂言の歌舞伎子(かぶきこ)
技の手振の戲
(ざれ)ばみに、笑み廣広ごりて興じ合ふ
かなたへ、君といざかへらまし。

わが故郷は、楠樹の若葉仄かに香
(か)ににほひ、
葉びろ柏は手だゆげに、風に搖
(ゆら)ゆる初夏(はつなつ)を、
葉洩りの日かげ散斑
(ばらふ)なる糺(ただす)の杜(もり)の下路に、
葵かづらの冠
(かむり)して、近衞使(このゑづかひ)の神まつり、
塗の轅
(ながえ)の牛車、ゆるかにすべる御生(みあれ)の日
また水無月の祇園會
(ぎをんゑ)や、日ぞ照り白む山鉾の
車きしめく廣小路、祭物見の人ごみに、
比枝
(ひえ)の法師も、花賣も、打ち交りつつ頽(なだ)れゆく
かなたへ、君といざかへらまし。

わが故郷は、赤楊
(はんのき)の黄葉(きば)ひるがへる田中路、
稻搗
(いなき)をとめが靜歌(しづうた)に黄(あめ)なる牛はかへりゆき、
日は今終
(つひ)の目移しを九輪の塔に見はるけて、
靜かに瞑
(ねむ)る夕まぐれ、稍散り透きし落葉樹(おちばぎ)は、
さながら老いし葬式女
(はふりめ)の、懶(たゆ)げに被衣(かづき)引延(ひきは)へて、
物歎かしきたたずまひ、樹間
(こま)に仄めく夕月の
夢見ごこちの流眄
(ながしめ)や、鐘の響の靑びれに、
札所
(ふだしょ)めぐりの旅人は、すずろ家族(うから)や忍ぶらむ
かなたへ、君といざかへらまし。

わが故郷は、朝凍
(あさじみ)の眞葛が原に楓(かへで)の葉、
そそ走りゆく霜月や、專修念佛
(せんじゅねぶち)の行者らが
都入りする御講凪
(おこうな)ぎ、日は午(ひる)さがり、夕越(ゆふごえ)
路にまよひし旅心地、物わびしらの涙目
(いやめ)して、
下京
(しもぎょう)あたり時雨する、うら寂しげの日短かを、
道の者なる若人は、ものの香
(か)朽ちし經藏に、
塵居
(ちりゐ)の御影(みかげ)、古渡(こわた)りの御經(みきょう)の文字や愛(めで)しれて、
夕くれなゐの明らみに、黄金の岸も慕ふらむ
かなたへ、君といざかへらまし。
 


 詠いこまれた花   ナシ(在木)、ミズキ(瑞木)、クスノキ(楠樹)、カシワ(葉びろ柏)、フタバアオイ(葵)、ハンノキ(赤楊)、イネ(稲)、クズ(葛)、カエデ(楓)、
 愚考するのに、「在木(ありき)」は、ナシ(梨)の木ではなかろうか。ナシは、音が「無し」に通じるというので一部で忌まれ、「ありのき(有木)」と呼ばれることがあった。
 『日本国語大辞典(第二版)』で「ありき」を引くと、「そこに生えている木、そこに立っている木」とあって、この詩が(ただしこの詩だけが)用例に挙げられているが。
 泣菫は「ありき」が気に入っていたらしく、ほかの詩でも使っている。
 「ああ大和にしあらましかば」に、

   新墾
(にひはり)路の切畑に、
   赤ら橘はがくれに、ほのめく日なか、
   そことも知らぬ靜歌の美し音色に、
   目移しの、ふとこそ見まし、黄鶲
(きびたき)
   あり樹の枝に、矮人
(ちいさご)の楽人(あそびを)めきし
   戯ればみを。・・・

とある。「望郷の歌」では「在木の枝に色鳥の咏め聲する」が、こちらではキビタキが「あり樹の枝に、矮人の楽人めきし戯ればみを」する。
 ここには、発想の根底に、例の玄宗皇帝の梨園の弟子が横たわっていると思うのだが。



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