あさがお (朝顔)
 

学名  Ipomoea nil (Pharbitis nil)
日本名  アサガオ 
科名(日本名)  ヒルガオ科
  日本語別名  シノノメソウ、カガミグサ、ケンゴシ(牽牛子)
漢名  牽牛(ケンギュウ,qiānniú)
科名(漢名)  旋花(センカ,xuánhuā)科
  漢語別名  牽牛花、裂葉牽牛(レツヨウケンギュウ,lieyeqianniu)、大花牽牛
英名  (Japanese) Morning-glory,  Lobedleaf pharbitis
2006/08/13 神代植物公園

2006/11/04 薬用植物園

 栽培品のアサガオは、I. nil var. japonica。
 その原種はコアサガオ I. nil var. nil と呼ばれることがあり、栽培品に比べて花が小さく、瑠璃色。平安時代の日本にもたらされたものは、これだという。
 サツマイモ属 Ipomoea(虎掌藤 hŭzhăngténg 屬)については、サツマイモ属を見よ。
 和名は、花が朝開くことから。ヒルガオユウガオなどに対する名。
 漢名は、植物名を牽牛(ケンギュウ,qiānniú,けんご)、その種を牽牛子(ケンギュウシ,qiānniúzĭ,けにごし・けんごし)という。
 命名の由来は、一説に この薬の謝礼に牛を牽いて行ったことから
(本草綱目)、一説に 牽牛星が夜空に現れる七夕のころに花がさくことから。
 『本草和名』及び『倭名類聚抄』牽牛子に、「和名阿佐加保」と。
 『延喜式』牽牛子に、「アサカホ」と。
 『大和本草』牽牛子に、「朝間花容美シく 見晛{ヒカゲ}則萎、故朝皃ト號{ナツ}ク」、「萬葉集ニハ木槿ヲアサカホトス、古今集物名部ニケニゴシトイヘルハ牽牛花ナリ、順和名抄ニハ牽牛花ヲアサカホト訓ス、然レハ木槿モ牽牛モ共ニアカホト云、同名異物ナリ」と。
 小野蘭山『本草綱目啓蒙』牽牛子に、「アサガホ
和名鈔 ケニゴシ古今集」と。
 「朝早ク咲キ午前ニ萎ム、故ニ朝顏ノ和名アリ」(『牧野日本植物圖鑑』)。  
 コアサガオは、原産地は中国西部乃至ヒマラヤ、一説に ボルネオ・セレベス。
 漢土には、六朝時代に入る。初め薬用。その花を観賞することは 元代から後のことであるらしい。
 中国では、次のものの種子を牽牛子(ケンギュウシ,qiānniúzĭ)と呼び薬用にする(〇印は正品)。『中薬志Ⅱ』pp.316-320 『全国中草葯匯編』上/590-591 『(修訂) 中葯志』III/521-526

   アメリカアサガオ Ipomoea hederacea(Pharbitis hederacea;
         牽牛・常春藤牽牛・裂葉牽牛)
   ハリアサガオ Ipomoea muricata(I.turbinata, Calonyction muricatum;
         丁香茄・軟刺月光花)
  〇アサガオ Ipomoea nil(Pharbitis nil;牽牛・裂葉牽牛・大葉牽牛)
  〇マルバアサガオ Ipomoea purpurea(Pharbitis purpurea;圓葉牽牛・紫牽牛・毛牽牛)
   
 日本では、生薬ケンゴシ(牽牛子)は アサガオの種子である(第十八改正日本薬局方)。もっぱら家庭薬に配合するが、消費量は激減している、という。
 日本には、奈良時代末・平安時代初期ころに、漢土から薬用植物として入り、牽牛子(けにごし・けんごし)と呼んだ。
 和気広世『薬経太素』
(ca.799)に、妊娠した女性が用いてはならない八種類の薬の一に「牽牛子」とある、という。
 また、『古今集』(ca.913)物名に「けにごし」として、

   うちつけに こしとや花の 色をみむ をく白露の そむるばかりを
 (やたべの名実)
 
 『万葉集』に、秋の七草の一として朝顔(朝貌)が詠われている。
 すなわち、巻八(1537;1538)「山上臣憶良(660-733) 秋の野の花を詠める歌 二首」に、

   秋の野に 咲きたる花を 指(および)折り かき数ふれば 七種(ななくさ)の花
   芽
(はぎ)が花 を花 葛花 瞿麦(なでしこ)の花
     をみなへし また藤袴
(ふじばかま) 朝貌(あさがほ)の花

秋の七草を定義している。

 しかし、当時の「朝貌」は今日のアサガオではない、という。日本古典文学大系万葉集二1538補注に、次のようにある。

 朝貌(あさがほ)は、「牽牛花(今のアサガオ)とする説があるが、これは渡来植物で垣根に植えるもので、野生しないという。・・・第二には、槿とする説がある。ムクゲは朝咲いてすぐしぼむ。蕣とも書いて平安朝文学では、槿をアサガホとするものが多い(和漢朗詠集など)。しかし、渡来植物で、木本であり、野生でないから、秋の野に咲く花というに不適当であるという。・・・第三は桔梗とする説である。新撰字鏡に桔梗を阿佐加保としている。秋の野に咲く花としては、美しく、かつ野生の花である。そこでこれを有力なものとしてみる説がある。しかし、桔梗を新撰字鏡でアサガホとしていても、他の和名抄や名義抄では牽牛花(今のアサガオ)や蕣・槿などをアサガホとしており、新撰字鏡だけを重要視しなければならない理由はない。また桔梗には、アサガホという名がつけられるような、特別な理由が見当たらない。第四に旋花(ヒルガホ)をというとする説があるが、理由はあまり決定的ではない。
 以上のごとくにして、未決定であり、これら以外の何かであるかもしれない。」
 なお、
   新撰字鏡は、898-901に増補が成立、
   古今和歌集は、913頃の成立、
   本草和名は、901-923の成立、
   倭名類聚抄は、931-937頃の成立、
   和漢朗詠集は、1013頃の成立
   類聚名義抄は、1081以後の成立。

 諸書を見ると、『万葉集』中の朝顔はキキョウである、とする説が、今日ではおおむね受け入れられているようだ。
 アサガオがあさがほと呼ばれるようになったのは10世紀。
 深江輔仁『本草和名』
(延喜年間,901-923)に、「牽牛子 和名阿佐加保」とある。
 しかし平安時代には、ムクゲの花をも朝顔と呼んだ。たとえば、

   おきてみんと 思ひし程に 枯れにけり 露よりけなる 槿
(あさがお)の花 (曾根好忠、『新古今集』)
   山がつの かきほにさける 槿は しののめならで あふよしもなし
(紀貫之、『新古今集』)
 
 清少納言『枕草子』(ca.1008?)第67段「草の花は」には、「ききやう、あさがほ」と列挙しているから、これはキキョウではない。このあさがほはアサガオだろう、という。 
 それでは、次に挙げる「あさがほ」は、何の花だったのであろうか?

   我ならで 下紐とくな あさがほの 夕影またぬ 花にはありとも
     
(おとこから「色好みなる女」にあてて、『伊勢物語』37) 
   もろともに を(居・折)るともなしに 打とけて 見えにける哉 あさがほの花
      (よみ人しらず「あさがほの花まへにありけるざうし(曹司)より、おとこのあけていで侍けるに」。
         『朝忠集』によれば、大輔
(源弼女)に対する藤原朝忠(910-966)の歌)

 
   露もありつ かへすがへすも 思しりて ひとりぞみ
(見)つる あさがほのはな
     (西行(1118-1190)『山家集』)
   はかなくて すぎにしかたを おもふにも いまもさこそは あさがほの露
     
(「諸行無常の心を」、同上)
   なにか思ふ 何とかなげく よの中は ただあさがほの 花のうへの露
     
(清水観音御歌、『新古今集』)
 
 アサガオは、古来薬として薬草園などに露地栽培されたが、中世には垣根や庭先に栽培することが始まり、種子の採集とともに花の観賞も行われるようになったものらしい。
 豊臣秀吉
(1536-1598)と千利休(1522-1591)にまつわる朝顔の茶事の逸話は その辺りの事情をうかがわせてくれ、狩野山楽(1559-1635)・山雪(1590-1651)父子が描いた天球院襖絵「朝顔図」(1631)は その様子を今日に伝えてくれる。
 宮崎安貞『農業全書』(1696)に、「園に作る薬種」の一として「牽牛子」をあげ、
 「けんごし、黒白の二色あり。子の白きが直段少し高し。是又屋敷廻り余地あらばうゆべし。かきにはゝせ藪にもまとはせ、其外他の物のさのみ盛長せざる所にうへ置きて、竹を立てははすべし。土地の費へさのみなく長くはひまとひ、子多くなる物なり。・・・薬屋に売りて利なき物にあらず。又子を多く取り油をしめ取るもよし」(岩波文庫本)と。
 江戸時代には、観賞品の改良が盛んに行われた。寛文(1661-1673)年間から花の色が多様化し始め、天明・寛政(1781-1801)年間には鉢植が始まって 江戸の町民の間に普及した。文化・文政(1804-1830)年間と嘉永・安政(1848-1860)年間には、花の観賞用に多くの品種が作り出され、熱狂的な大流行を巻き起こした。
 文化年間末には『花壇朝顔通』が刊行されている。

       変化ざきアサガオの一  2023/09/10 小石川植物園
        

   (あさがほ)や昼は錠おろす門の垣 
(芭蕉,1644-1694)
   蕣は下手のかくさへ哀
(あはれ)也 (同。「嵐雪がゑがきしに、さん(讃)のぞみければ」)
   朝顔は酒盛しらぬさかりかな 
(同)
   や是も又我が友ならず 
(同)

   蕣やぬかこの蔓のほと
(解)かれす (及肩,『猿蓑』1691。ぬかこはむかご)

   朝顔に釣瓶
(つるべ)とられて貰ひ水 (千代女,1703-1775)

   朝顔や手拭のはしの藍をかこつ 
(蕪村,1716-1783)
   朝がほや一輪深き淵の色 
(同)
 
 明治時代中期から、三度び朝顔育成の流行が始まった。東京の入谷の朝顔市は、そのころに始まったもの。

     瞬間とは
     かうもたふといものであらうか
     一りんの朝顏よ
     二日頃の月がでてゐる
       
(山村暮鳥「朝顏」、『雲』(1925)より)
 


2004/08/04  殿ヶ谷戸庭園 (国分寺市南町)


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