辨 |
Lagenaria siceraria については、ヒョウタンを見よ。 |
訓 |
夏の夕方に白い花を開くので、(朝顔・昼顔に対して)夕顔という。また、瓢箪が苦いのに夕顔は甘いので、甘瓢ともいう。 |
『延喜式』土瓜に、「ヒサコウリ」と。
小野蘭山『本草綱目啓蒙』(1806)24壺盧に、「スゝケバナ古歌 スゝケノハナ タソガレグサ倶ニ同上 ユウガホ ヤウガウ防州 ユウゴ阿州勢州 ナリヒサゴ シトミグサ葉ノ名」と。 |
説 |
Lagenaria siceraria は、おそらくアフリカ原産だが、アジア・アフリカの熱帯地方で非常に古くから栽培された。
そのうち、果肉に苦味の無いユウガオ var. hispida(瓠子・扁蒲)は、インドで成立したものであろうと言う。 |
日本への渡来年代は不明。 |
誌 |
中国の古典『詩経』において瓠(コ,gu)・匏(ホウ,pao)・壷(コ,hu)と記される植物は、ユウガオ・ヒョウタン・フクベのうちのいずれかであると言う。
ヒョウタンの誌を参照。 |
日本では、縄文時代からヒョウタンを利用した。ヒョウタンの誌を参照。
ユウガオは、若い果実を煮物・餡かけ・漬物などにするほか、果肉を細く紐状に剥いて天日に干し、乾瓢(干瓢)とする。 |
紫式部『源氏物語』夕顔に、「六条わたりの御忍び歩きのころ、・・・五条なる家、たづねておはしたり。・・・この家のかたはらに桧垣といふもの新しうして、・・・切懸(きりかけ)だつものにいと青やかなるかづらの心地よげにはひかかれるに、白き花ぞおのれひとり笑みの眉(まゆ)開けたる。(源氏は)「をちかた人に物申す」とひとりごち給ふを、御随身つい居て、「かの白く咲けるをなん、夕顔と申し侍る。花の名は人めきて、かう、あやしき垣根になん、咲き侍りける」と申す。・・・(源氏が)「口惜しの、花の契りや。一房折りて参れ」とのたまへば、(随身は)この押しあげたる門(かど)に入りて折る」と。 |
清少納言『枕草子』第67段「草の花は」に、「夕がほは、花のかたちもあさがほ(朝顔)にに(似)て、いひつづけたるに、いとをかしかりぬべき花のすがたに、み(実)のありさまこそ、いとくちをしけれ。などさはたを(生)ひいでけん。ぬかづきなどといふもののやうにだにあれかし。されど、なほゆふがほ(夕顔)といふ名ばかりはをかし。」と。 |
日本の乾瓢は、15世紀から記録がある(『下学集』1444)。 |
夕顔や酔てかほ出す窓の穴 (芭蕉,1644-1694)
夕がほや秋はいろいろの瓢(ふくべ)かな (同)
夕顔に干瓢むいて遊(あそび)けり (同)
ものひとつ瓢はかろきわが世哉 (同)
夕かほによ(呼)はれてつらき暑さ哉 (羽紅,『猿蓑』1691)
夕顔や武士ひとこしの裏つゞき (蕪村,1716-1783)
順礼の目鼻書(かき)ゆくふくべ哉 (同)
あだ花にかゝる恥なし種ふくべ (同)
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