辨 |
中国では、Eupatorium fortunei と Eupatorium japonicum を別種とする(『植物智』)。
E. fortunei(佩蘭・蘭草・香草)
山東・江蘇・浙江・江西・兩湖・兩廣・西南に産。
多く栽培され、野生は稀に見られるのみ。
中部の茎の葉が大きく、三全裂或は三深裂する(或は全く裂けない)。
華北~江蘇では佩蘭と呼び、江西・兩湖・貴州では蘭草と呼ぶ。
E. japonicum(澤蘭・白頭婆)
遼寧・吉林・黑龍江・河北・山西・河南・陝西・華東・兩湖・廣東・西南に産。
中部の茎の葉は橢円形乃至披針形。
日本の学者の見解は以下の如し。
フジバカマは、「中国では古来〈蘭草〉、現在では〈佩蘭〉とよばれる。日本では河原の開発のために野生のものは減少しており、絶滅危惧種(NT)に指定されている一方で、過去に栽培されたものが逸出している場所も多い。最近日本で栽培されているものは、野生の型に比べて葉の裂片が細く、上部の葉も全裂し、花序の枝がより急角度で斜上して紅色をおび、花色の濃い型で、これをコバノフジバカマ(ニセフジバカマ)と名付け
E. fortunei Turcz. の学名をあてて区別することもある。これに一致する型は中国南部に多く見られるが、中国における変異の大きさを考えるとフジバカマから別種とするのは難しいと思う」(米倉、『改訂新版
日本の野生植物』)。
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ヒヨドリバナ属 Eupatorium(澤蘭 zélán 屬)の植物については、ヒヨドリバナ属を見よ。 |
訓 |
漢土における蘭(ラン,lán)という語の変遷について、また日本におけるその訓読の歴史について、ランの訓を参照。 |
『本草和名』蘭草に「和名布知波加末」と、澤蘭に「和名佐波阿良々岐」と。
『延喜式』澤蘭に、「サハアラゝキ」と。
『倭名類聚抄』に、蘭は「和名本草云布知波賀万」と、澤蘭は「佐波阿良々木、一云阿加末久佐」と。
小野蘭山『本草綱目啓蒙』10 に、「沢蘭 サハアラゝギ延喜式 アカマグサ和名鈔 サハヒヨドリ」と。 |
澤蘭とは、陶弘景は「澤の旁に生ず。故に澤蘭と名づく」というが、李時珍は「此の草、亦た香澤(かみあぶら)を爲る可し。獨り其の澤旁に生ずるを指すのみにあらず」と(李時珍『本草綱目』)。 |
日本における「藤袴」の語は、山上憶良(660-733)の「秋の七種」の歌(『万葉集』8/1537;1538)に見える。
のちに、『源氏物語』30帖の名を「藤袴」という。 |
別名アララギについては、ラン(蘭)の訓を見よ。 |
説 |
中国では、japonicum(澤蘭)は 新疆・西藏以外の全国に分布し、栽培もする。
fortunei(佩蘭)は 河北・山西・山東・河南・陝西・江蘇・浙江・福建・兩廣・四川・貴州・雲南に分布し、栽培は江蘇(南京・蘇州・上海)が最大。 |
李時珍『本草綱目』(ca.1596)蘭草の集解に、「蘭草と澤蘭と、一類二種なり。倶に水旁下湿の処に生ず。二月、宿根より苗を生じ、叢を成す。紫の茎、素き枝、赤き節、緑の葉。葉は節に対して生じ、細歯有り。但し、茎円く、節は長くして、葉は光り、岐有る者を以て、蘭草と為す。茎微かに方、節は短くして、葉は毛の有る者は、澤蘭と為す。嫩き時、並びに捼(も)んで之を佩す。八九月より後、漸く老ゆ。高者、三四尺。花を開き穂を成すこと、鷄蘇(イヌゴマ)の如し。花は紅白色、中に細子有り」と。 |
日本では、フジバカマは本州(関東以西)・四国・九州に分布。
奈良時代に中国から直接に、あるいは朝鮮を経由して渡来したものが、帰化したと考えられている。(一説に、渡来品のほかに自生品があったのではないかともいう。)
そののち、広く関東以西に野生し、東京周辺では 戸田の荒川堤などに戦前まで自生していた。しかし、その後開発などにより姿を消し、今日見られるものは観賞用に栽培されているもののみという。
今では、全国レベルで絶滅危惧Ⅱ類(VU)。 |
植物体にクマリンの芳香があり、半乾燥するとよく匂う。
ただし、japonicum(澤蘭)と fortunei(佩蘭)では、香りはfortunei(佩蘭)のほうが佳い。 |
誌 |
中国では、古くから蘭・蘭草を香草として利用した。すなわち、身に帯び(佩 pèi)たり、湯で煮て沐浴したり(蘭湯)して、邪気をはらった。それは、今日の fortunei(佩蘭)であった。
今日でも、E.fortunei(佩蘭)及び E.japonicum(澤蘭)の全草を佩蘭と呼び、薬用にする。なお、地方により
E. cannabinum (西藏澤蘭・大麻葉澤蘭)
シナヒヨドリ E. chinense (華澤蘭・蘭草・大澤蘭・多鬚公・六月霜・白頭翁)
サワヒヨドリ E. lindleyanum (白鼓釘・尖佩蘭・佩蘭・澤蘭・林澤蘭)
E. rotundifolium(馬鞭草澤蘭・圓葉澤蘭)
メボウキ(バジル) Ocimum basilicum(羅勒)
などを佩蘭として薬用にする。『中薬志Ⅲ』pp.129-133 『全国中草葯匯編』上/551-552 『(修訂) 中葯志』IV/80-92 |
『春秋左氏伝』宣公3年(606B.C.)に、「蘭に国香(国中で第一の香り)有り」と。 |
『詩経』国風・鄭風の溱洧(シンイ)に、「士と女と、方(まさ)に蕑を秉(と)る」と。毛伝に、蕑は蘭なり、と。李時珍『本草綱目』蘭草の釈名に、「陸機の詩の疏に言う、<鄭の俗、三月、男女 蕑を水際に秉り、以て自ら祓除す>と。蓋し蘭は以て之を闌(さえぎ)り、蕑は以て之を閑(ふさ)ぐ。其の義、一なり」と。 |
『大戴礼』「夏小正」五月に、「蘭を蓄ふ。〔沐浴の為にするなり。〕」と。 |
『楚辞』「離騒」に、「江離(センキュウ)と辟芷(へきし、白芷。シシウドの仲間)とを扈(こうむ)り、秋蘭を紉(つな)いで以て佩(はい)と為す」と。 |
日本では、『万葉集』以来 秋の七草の一。
とはいえ、『万葉集』には、ほかには特段に詠われていない。 |
平安時代以降には、
なに人か きてぬぎかけし ふぢばかま くる秋ごとに のべをにほはす
(藤原敏行「これさだのみこの家の歌合によめる」、『古今和歌集』)
やどりせし 人のかたみか 藤ばかま わすられがたき かににほひつつ
(紀貫之「ふぢばかまをよみて人につかはしける」、『古今和歌集』)
ぬししらぬ かこそにほへれ 秋ののに たがぬぎかけし ふぢばかまぞも
(素性法師「ふぢばかまをよめる」、『古今和歌集』)
秋風に ほころびぬらし ふぢばかま つゞりさせてふ 蛬(きりぎりす)なく
(在原棟梁、卷19)
西行(1118-1190)『山家集』に、
いとすすき ぬ(縫)はれてしか(鹿)の ふすのべ(野辺)に ほころびやすき ふじばかま哉
『新古今集』に、
蘭(ふじばかま)ぬしは誰ともしら露のこぼれてにほふ野べの秋風 (公猷法師)
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