わがゆくかたは、月明りさし入るなべに、
さはら木は腕(かひな)だるげに伏し沈み、
赤目柏(あかめがしは)はしのび音に葉ぞ泣きそぼち、
石楠花(しゃくなぎ)は息づく深山(みやま)、――「寂靜(さびしみ)」と、
「沈默(しじま)」のあぐむ森ならじ。
わがゆくかたは、野胡桃(のぐるみ)の實は笑(ゑ)みこぼれ、
黄金なす柑子(こうじ)は枝にたわわなる
新墾(にひばり)小野(をの)のあらき畑(ばた)、草くだものの
釀酒(かみざけ)は小甕(こみか)にかをる、――「休息(やすらひ)」と、
「うまし宴會(うたげ)」の場(には)ならじ。
わがゆくかたは、末枯(うらがれ)の葦の葉ごしに、
爛眼(ただらめ)の入日の日ざしひたひたと、
水錆(みざび)の面(おも)にまたたくに見ぞ醉(ゑ)いしれて、
姥鷺(うばさぎ)はさしぐむ水沼(みぬま)、――「歎(なげ)かひ」と、
「追懷(おもひで)」のすむ郷(さと)ならじ。
わがゆくかたは、八百合(やほあひ)の潮ざゐどよむ
遠つ海や、――あゝ、朝發(びら)き、水脈曳(みをびき)の
神こそ立てれ、荒御魂(あらみたま)、勇魚(いさな)とる子が
日黑み(ひぐろ)の廣き肩して、いざ「慈悲」と、
「努力(ぬりき)」の帆をと呼びたまふ。
|