辨 |
テイカカズラ属 Trachelospermum(絡石 luòshí 屬)には、東&東南アジア・ヒマラヤに約9-15種、または約30種がある。
T. asiaticum(T.gracilipes)
テイカカズラ var. asiaticum(var.oblanceolatum, var.intermedium, var.glabrum;
日本絡石)
ヒメテイカカズラ var. brevisepalum
オキナワテイカカズラ(リュウキュウテイカカズラ) var. liukiuense(T.lanyuense,
T.liukiuense, T.gracilipes var.liukiuense)
チョウジカズラ var. majus(T.foetidum, T.jasminoides subsp.foetidum;臺灣絡石)
T. axillare(紫花絡石・車藤) 浙江・福建・江西・兩湖・兩廣・四川・貴州・雲南・インドシナ・ヒマラヤ産
タイワンテイカカズラ T. bodonieri(T.formosanum, T.cathayanum;
貴州絡石・乳兒繩) 貴州・四川に稀産 『雲南の植物Ⅱ』211
T. brevestylum(短柱絡石・羊角草) 安徽・福建・兩廣・四川・貴州・雲南産 『雲南の植物Ⅲ』229
T. dunnii(銹毛絡石・大黑骨頭) 湖南・廣西・雲貴産
トウテイカカズラ(トウキョウチクトウ・タイワンテイカカズラ) T. jasminoides(絡石・絡石藤・
卍字茉莉・白花藤・爬山虎・爬墻虎;E.Star jasmine)
臺灣・華東・河南・山東・兩湖・兩廣・貴州・雲南に産、『中国本草図録』Ⅱ/0772
『中薬志』Ⅲ/481-485,526-532 『全國中草藥匯編』上/248 『(修訂) 中葯志』V/664-659
下欄の誌を見よ
ケテイカカズラ var. pubescens 本州(近畿以西)・四国・九州・琉球・朝鮮・漢土に産
var. heterophyllum(石血・九慶藤・鐡信)
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キョウチクトウ科 Apocynaceae(夾竹桃 jiāzhútáo 科)については、キョウチクトウ科を見よ。 |
訓 |
和名は、藤原定家(1162-1241)と式子(しきしまたはしょくし)内親王(ca.1151-1201)に纏わる説話にちなむ。下欄の誌を見よ。 |
『本草和名』落石に、「和名都多」と。
『倭名類聚抄』絡石に「和名豆太」と。
すなわち、古くは「つた」という語は、ツタではなく、テイカカズラを指していた。
『大和本草』に、「絡石(テイカカツラ)」と。別に「正木ノカツラ」とあるものはツルマサキ。
小野蘭山『本草綱目啓蒙』14下(1806)絡石に、「テイカゝヅラ ツルクチナシ勢州 シホフキ薩州」と。 |
説 |
本州・四国・九州・小笠原・朝鮮・浙江・兩湖・兩廣・四川・貴州・インドシナ・ヒマラヤ・ボルネオに分布。
何にでも絡みついて伸張し、茎は径4cm、長10mに達する。 |
誌 |
強い植物なので、よく生垣に用いられる。
茎葉を乾燥したものは、絡石と呼び、薬用にする。 |
中国では、次のような植物の茎・葉を絡石藤(ラクセキトウ,luòshíténg)と呼び薬用にする(〇印は正品)。 『中薬志Ⅲ』p.526-532 『全国中草葯匯編』上/638-639 『(修訂)
中葯志』V/664-669
Callerya dielsiana(Millettia dielsiana;香花鷄血藤・香花崖豆藤) マメ科
ツルマサキ Euonymus fortunei(E.radicans;扶芳藤)
〇オオイタビ Ficus pumila(F.pumila var.lutchuensis;薜荔)
イタビキヅタ Ficus tikoua(地瓜藤・地枇杷)
ツタ Parthenocissua tricuspidata(地錦・爬山虎)
シラタマカズラ Psychotria serpens(蔓九節・穿根藤)
Schisandra sphenanthera(華中五味子)
〇トウテイカカズラ Trachelospermum jasminoides(絡石)
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和名テイカカズラの元となった藤原定家(1162-1241)は、中世初期の歌人、日記『名月記』の著者、『小倉百人一首』(ca.1235)の撰者。式子内親王(ca.1151-1201)は、後白河天皇(1127-1192)の第3皇女で以仁王(1151-1181)の妹。1159年賀茂斎院、1169年退下、1194年ころ出家。
金春禅竹(1405-ca.1470)作とされる謡曲『定家』には、定家との「邪淫の妄執」に成仏できないでいる内親王の亡霊が登場する。すなわち都の「式子内親王の御墓」の「星霜古りたる」石塔に「蔦蔓這ひまとひ」、「この蔓をば定家蔓と申し」、「式子内親王初めは賀茂の斎の宮にそなはり給ひしが、程なく下り居させ給ひしを、定家の卿忍び忍びの御契り浅からず。その後式子内親王程なく空しくなり給ひしに、定家の執心蔓となつて御墓に這ひまとひ、互ひの苦しみ離れやらず」と。
なお、式子内親王の塚は、指月山般舟三昧院(京都市上京区)にあり、定家蔓の墓とも呼ばれている。 |
『古事記』天(あめ)の石屋戸(いわやと)の場面で、天宇受売(あめのうずめ)の命(みこと)が「天の真拆(まさき)を縵(かづら)と為(し)て」踊ったという、そのまさきは、一説にテイカカズラとする。 |
『万葉集』に、つた・いはつた・いはつな・つのなどと呼ばれる植物は、テイカカズラであるという。つな・つのは、ツタの転訛。
次のような枕詞に用いられる。
「いわつなの」は、をつ・をつちかへる(若返る)にかかる。
「は(這)うつた(蔦)の」は、わかる・おのがむきむきにかかる。
「つのさはふ」は、いわにかかる。(ツタが多(さは)に這う意だと言う)。
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『古今集』巻20 神あそびのうたに、
まきもくの あなしの山の 山人と ひともみるがに 山かづらせよ
み山には あられふるらし と山なる まさきのかずら 色づきにけり
とある(一に、このまさきのかずらをテイカカズラとし、一に ツルマサキ Euonymus fortunei とする。)。
西行(1118-1190)『山家集』に、
かづらきや まさきの色は 秋ににて よそのこずゑは みどりなる哉
(かづらき(葛城)をすぎ侍りけるに、をりにもあらぬもみぢの見えけるを、
なにぞととひければ、まさきなりと申けるを聞て)
『新古今集』に、
松にはふまさきのかづら散りにけりと山の秋に風すさむらん (西行法師)
神無月時雨ふるらしさほ山のまさきのかづら色まさり行く (読人不知)
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『花壇地錦抄』(1695)巻三「藤並桂のるひ」に、「薜茘桂(まさきかつら) 葉ハ大つげのごとくニて木ニまといて生ル。葉、冬有リ」、「絡石(ていか) 葉ハまさきかつらのちいさき物なり。少シの枯石(ほくいし)等ニまとひ付、あいらしき物也。かづら、冬有」と。 |