辨 |
ザクロ属 Punica(石榴 shíliú 屬)には、西アジアに2種がある。
P. protopunica イェメン南部ソコートラ Socotra 島特産、ザクロの祖先型
ザクロ P. granatum(石榴) 幾つかの品種がある
アマシボリ(天絞り) 'Amashibori' 八重、白縁瓣
ヒメザクロ 'Nana'
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ミソハギ科 LYTHRACEAE(千屈菜 qiānqūcài 科)については、ミソハギ科を見よ。 |
訓 |
六朝時代には、ザクロは塗林・奈林と呼ばれた。塗林(トリン,túlín)はサンスクリット語の dalima の音写、奈林(ダイリン・ナリン,
nàilín)はイラン語の anar・ウィグル語の nara の音写。
この植物を石榴・柘榴(セキリュウ,shíliú)と呼ぶようになったのは、唐代からのことと言う。 |
石榴(セキリュウ,shíliú)は柘榴とも書く。柘(シャ,zhè)は本来ハリグワの意だが、この場合は石(セキ, shí)と同音に読む。
二字目の榴(リュウ,liú)は、熟してはじけた果実のようすに着目したことばで、一説につぶつぶの意といい、つるつるした玉(瑠)のようなの意といい、あるいは意は不明という。 |
安石榴(アンセキリュウ,ānshíliú)と安の字をつけるのは、むかし張騫が 西方の安息(アンソク,ānxī)国からもたらしたものと考えられたことによる。
なお安息(アンソク,ānxī)は、パルティア Parthia 国の創始者アルシャク Arshak の音訳。以来、パルティアあるいはペルシアの人を安姓で呼ぶなど、安の字はパルティア或はペルシアを表す。 |
なお、唐代に海石榴(カイセキリュウ,hăishíliú。海の彼方から来た石榴)と呼ばれた植物があり、日本ではツバキと訓じた。ツバキの項を見よ。
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和名ザクロは、漢名 石榴・柘榴の音の転訛。
『本草和名』安石榴、及び『倭名類聚抄』石榴に、「和名佐久呂」と。
小野蘭山『本草綱目啓蒙』安石榴に、「イロタマ古名 ザクロ ジヤクロ」と。 |
説 |
小アジア~北西インドの原産。西アジアでは最も古くから栽培された果樹。古代ギリシアでも栽培された。
中国には、B.C.2c.に 張騫が西方からもたらしたといわる(一説にA.D.3c.末)。日本では、平安時代前期には栽培されていた。 |
誌 |
花は観賞用に、果実は食用に供するほか、根・茎皮・花・葉・果皮を薬用にする。『中薬志Ⅱ』pp.100-102 『(修訂) 中葯志』III/288-290 『全国中草葯匯編』下/187-189
鏡として金属製のものが用いられていた時代には、表面を磨くのにザクロの実の汁を用いた。 |
中国では、張華(232-300)『博物誌』に、「張騫(?-114B.C.)、西域に使して還り、安石榴・胡桃・蒲桃を得たり」と(賈思勰『斉民要術』10所引)。 |
漢の上林苑には「安石榴十株」が植えられていた(『西京雑記』巻上)。一般的に普及したのは 唐代から。
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賈思勰『斉民要術』(530-550)巻4に「安石榴」が載る。 |
『花壇地錦抄』(1695)巻三「山椒(さんせう)るひ」に、「柘榴(ざくろ) くれないの花 咲。秋 実のる」、「花柘榴 上々。くれない、八重、実ならす。花ざくろに三色ハ、白八重、黄色八重となり」、「甘(あま)柘榴 花ハくれない、一重。実あまし」と。 |
あまのはら冷ゆらむときにおのづから柘榴は割れてそのくれなゐよ
(1942,齋藤茂吉『霜』)
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果実の中に種子の多いさまから、世界の各地で子孫繁栄・多産の象徴となった。古代ギリシアでは豊穣のシンボルであり、冥界に落ちたペルセフォネはザクロを食べて地上に戻り、大地と豊穣の女神となった。キリスト教でも、ザクロは再生と不死の象徴。
中国でも同様であり、多産と子孫繁栄の象徴。ここから、ザクロは鬼子母神の持ち物となった。 |