|
19c.後半に英国に渡り、イングラムにより栽培されていたが、1932日本に逆輸入され、佐野藤右衛門により増殖され、鷹司信輔により太白と命名された。
「もっとも日本にも「駒繋」や「車駐」と呼ばれる樹が残っていた。これらは同じ栽培品種と考えられ日本で絶えたわけではない」(勝木俊雄『日本の桜』p.78,2001)。
「「駒繋(こまつなぎ)」や「車駐(くるまどめ)」と呼ばれる桜が'太白'と同じで、日本でも生き残っていたと言われることもあるが、これらをよく調べてみると、栽培している段階で'太白'と取り間違われた疑いが強く、詳細に検討されなければならない」(勝木俊雄『桜』p.120,2015)。
1967年に多摩森林科学園に導入された、京都の佐野園及び京都植物園からの「駒繋」・神代植物公園からの「駒繋」は、「近年、遺伝子や花の形態などの詳しい解析」の結果、いづれも種類は「太白」であつた(同一クローンという,
多摩森林科学園)。
|
|