庚申のことし、霜月のはじめなりけり。江戸を出でて、淸戸(現清瀬市上・中・下清戸)といふ所に、旅より旅のかりねも十日あまり、母やある子やもてると、あるじに咄もやをらなじみそめて、此あたりの事など尋ねきくに、昔はこゝもとも月の名におふ武蔵野なりし由。今は家つらなり田畑と變じて、露おく草の名にもあらぬ、大根牛蒡のことにめでたき里なりと語る。
武蔵野や今は茶にたく枯尾花
今とても猶端々には、其廣き野の迹のこれりと聞きて、見にまかりける。案内するをとこの聾なるも、時鳥聞くしるべならねばと、其日の興にして、龜ケ谷(現所沢市亀ヶ谷)下富(現所沢市下富)などいへる村村を過て、かの野には出でぬ。誠に四方に木竹もなく、草さへも今は霜がれはてて、哀に物すごき原のさま也。
武蔵野やいづこを草のかげひなた
そこら見めぐりて、
枯野にもすゝきばかりは薄かな
くれ行く空もおもひやりて、
武蔵野に露ひとつなし冬の月
又の日、野火留(現新座市野火止)といふ所を尋ね侍り。こゝは伊勢物語に、けふはなやきそとよみし跡なれば、里の名もかくよび侍るとか。業平塚とて寂しきしるしども殘れり。歌のこゝろを知らば、枯草に吸がらな捨てそ、とたはむれて、
こもるかと問へば枯野のきりぎりす
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