作者名  横井也有 (1702-1783)
作品名  「武蔵野紀行」、『鶉衣』拾遺中(有朋堂文庫本)所収
成立年代  元文五年庚申(1740)
 その他  横井也有は、尾張藩士横井時衡長男、諱時般(ときつら)、通称孫右衛門、号は野有・也有・知雨亭等多数。1727家督を継ぐ。1741大番頭兼用人、1748寺社奉行。諸芸に通じ、俳人として著名。1754隠居。
庚申のことし、霜月のはじめなりけり。江戸を出でて、淸戸(現清瀬市上・中・下清戸)といふ所に、旅より旅のかりねも十日あまり、母やある子やもてると、あるじに咄もやをらなじみそめて、此あたりの事など尋ねきくに、昔はこゝもとも月の名におふ武蔵野なりし由。今は家つらなり田畑と變じて、露おく草の名にもあらぬ、大根牛蒡のことにめでたき里なりと語る。

  武蔵野や今は茶にたく枯尾花

今とても猶端々には、其廣き野の迹のこれりと聞きて、見にまかりける。案内するをとこの聾なるも、時鳥聞くしるべならねばと、其日の興にして、龜ケ谷
(現所沢市亀ヶ谷)下富(現所沢市下富)などいへる村村を過て、かの野には出でぬ。誠に四方に木竹もなく、草さへも今は霜がれはてて、哀に物すごき原のさま也。

  武蔵野やいづこを草のかげひなた

そこら見めぐりて、

  枯野にもすゝきばかりは薄かな

くれ行く空もおもひやりて、

  武蔵野に露ひとつなし冬の月

又の日、野火留
(現新座市野火止)といふ所を尋ね侍り。こゝは伊勢物語に、けふはなやきそとよみし跡なれば、里の名もかくよび侍るとか。業平塚とて寂しきしるしども殘れり。歌のこゝろを知らば、枯草に吸がらな捨てそ、とたはむれて、

  こもるかと問へば枯野のきりぎりす 
 
 詠いこまれた花   ダイコンゴボウススキ



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