辨 |
ナス属 Solanum(茄 qié 屬)については、ナス属を見よ。 |
訓 |
和名ジャガイモはジャガタライモの略、ジャカトラ港(現在のジャカルタ)からオランダ船で長崎県平戸に入ったことから。
馬鈴薯は、根茎の形を 馬につける鈴に擬えて。小野蘭山(1729-1810)がジャガイモを馬鈴薯としたことに始まるという。
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漢土では、初めジャガイモを洋芋・荷蘭薯(荷蘭 hélán はオランダの音写)などと呼んでいたが、のちに日本語から馬鈴薯の称謂を取入れた。
(漢土では、馬鈴薯の語は早く『松溪縣(福建省)志』に見える。とはいえ、牧野富太郎はこれはジャガイモではなく、あるいはホドイモ Apios fortunei(土圞兒・九牛子・九子羊・土蛋・地栗子・金綫吊葫蘆)か、という。)
陽芋の名は『植物名實圖考』より。 |
英名の potato は、西インド諸島のタイノ語でサツマイモをバタタ batata と呼んだことから始まり、これがスペイン語に入ってパタタと訛り、更に英語でポテトと変化したもの。サツマイモを Spanish
potato、ジャガイモを Virginia potato と呼んで区別した。
今日では、サツマイモを sweet potato、ジャガイモを potato, Irish potato, white potato と呼ぶ。 |
仏名は「大地のリンゴ」pomme de terre、pomme と略称する。
ただし pomme de terre は、初めはキクイモの名であった。 |
説 |
参照:伊藤章治『ジャガイモの世界史』(2008,中公新書) |
南アメリカ(ペルー・コロンビア・エクアドル・ボリビア)の中央アンデス中南部高原原産のいも。中央アメリカから北アメリカ(コロラド州以南)にかけて、150種以上が野生するという。
南アメリカでは、イモを食用に利用するために18種が栽培され、しかも野生の8種が採集されているという。 |
ヨーロッパに持ち込まれたのは、16世紀スペイン人の手による。その時期は、1537年、或は1565年国王フェリペⅡに献上されたものが最初など、幾つかの説がある。初めは花を観賞し、スペイン領ネーデルランドなどに広がった。
1586年 Walter Raleigh によりアイルランドに移入、アイルランドでは17世紀に本格的に食用に栽培されはじめ、18世紀にアイルランドや北ヨーロッパの主食となる。
18世紀初、スコットランド系北アイルランド人の移民により、北アメリカ(ニューハンプシャー州)に導入。 |
日本への伝来は江戸時代初期、慶長3年(1598)とする説が強い。ただし、栽培の記録は1706年のものが初見。
明治初にあらためて優良品種が北海道に導入されてから、栽培が一般化した。 |
誌 |
馬鈴薯の花咲き穗麥あからみぬあひびきのごと岡をのぼれば (北原白秋『桐の花』1913)
のがれ来てはやも百日(ももか)か下畑(しもはた)に馬鈴薯のはな咲きそむるころ
(1945「疎開漫吟」,齋藤茂吉『小園』)
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日本でいうフライドポテトは、英語では potato chips、米語では French fries、仏語では pommes frites。
日本でいうポテトチップスは、英語では crisps、米語では potato chips。 |
アイルランドでは、18世紀にはジャガイモは唯一の主食作物となった。
1845-1849年アイルランドにジャガイモの立ち枯れ病(Phytophthora infestans による疫病)が流行すると「ジャガイモ飢饉」となり、約100万人が死に、約100万人が移民となってアメリカ・カナダなどに逃れた。アイルランドの人口は、1841年から1891年の間に818万人から470万人に減った。 |
アンデスの人々は、ジャガイモを保存するために冷凍乾燥する。これをチューニョと呼ぶ。 |