じゃがいも 

学名  Solanum tuberosum (S.esculentum, Lycopersicon tuberosum)
日本名  ジャガイモ、バレイショ 
科名(日本名)  ナス科
  日本語別名  ジャガタライモ、オランダイモ、バレイショ(馬鈴薯)、ゴショウイモ(五升薯)ハッショウイモ(八升薯)、エドイモ、ナツイモ、ニドイモ(二度薯)・サンドイモ(三度薯) 
漢名  馬鈴薯(バレイショ,mălíngshŭ)、陽芋(ヨウウ,yángyù)
科名(漢名)  茄(カ,qié)科
  漢語別名  洋薯・陽薯(ヨウショ,yángshŭ)、洋蕃薯(ヨウバンショ,yángfānshŭ)、洋芋(ヨウウ,yángyù)、荷蘭薯(カランショ,hélánshŭ)、爪哇薯(ソウワショ,zhăowāshŭ)、山藥蛋(サンヤクタン,shānyàodàn)、地蛋(チタン,dìdàn)、土豆(ドトウ,tŭdòu)
英名  Potato, Irish potato
2006/04/24 三芳町竹間沢 2006/05/01 新座市中野
2005/05/17  三芳町竹間沢
2023/05/21 薬用植物園 

 ナス属 Solanum(茄 qié 屬)については、ナス属を見よ。
 和名ジャガイモはジャガタライモの略、ジャカトラ港(現在のジャカルタ)からオランダ船で長崎県平戸に入ったことから。
 馬鈴薯は、根茎の形を 馬につける鈴に擬えて。小野蘭山(1729-1810)がジャガイモを馬鈴薯としたことに始まるという。
 漢土では、初めジャガイモを洋芋・荷蘭薯(荷蘭 hélán はオランダの音写)などと呼んでいたが、のちに日本語から馬鈴薯の称謂を取入れた。
 (漢土では、馬鈴薯の語は早く『松溪縣(福建省)志』に見える。とはいえ、牧野富太郎は
これはジャガイモではなく、あるいはホドイモ Apios fortunei(土圞兒・九牛子・九子羊・土蛋・地栗子・金綫吊葫蘆)か、という。)
 陽芋の名は『植物名實圖考』より。
 英名の potato は、西インド諸島のタイノ語でサツマイモをバタタ batata と呼んだことから始まり、これがスペイン語に入ってパタタと訛り、更に英語でポテトと変化したもの。サツマイモを Spanish potato、ジャガイモを Virginia potato と呼んで区別した。
 今日では、サツマイモを sweet potato、ジャガイモを potato, Irish potato, white potato と呼ぶ。
 仏名は「大地のリンゴ」pomme de terre、pomme と略称する。
 ただし pomme de terre は、初めはキクイモの名であった。
 参照:伊藤章治『ジャガイモの世界史』(2008,中公新書) 
 南アメリカ(ペルー・コロンビア・エクアドル・ボリビア)の中央アンデス中南部高原原産のいも。中央アメリカから北アメリカ(コロラド州以南)にかけて、150種以上が野生するという。
 南アメリカでは、イモを食用に利用するために18種が栽培され、しかも野生の8種が採集されているという。
 ヨーロッパに持ち込まれたのは、16世紀スペイン人の手による。その時期は、1537年、或は1565年国王フェリペⅡに献上されたものが最初など、幾つかの説がある。初めは花を観賞し、スペイン領ネーデルランドなどに広がった。
 1586年 Walter Raleigh によりアイルランドに移入、アイルランドでは17世紀に本格的に食用に栽培されはじめ、18世紀にアイルランドや北ヨーロッパの主食となる。
 18世紀初、スコットランド系北アイルランド人の移民により、北アメリカ
(ニューハンプシャー州)に導入。
 日本への伝来は江戸時代初期、慶長3年(1598)とする説が強い。ただし、栽培の記録は1706年のものが初見。
 明治初にあらためて優良品種が北海道に導入されてから、栽培が一般化した。

  馬鈴薯の花咲き穗麥あからみぬあひびきのごと岡をのぼれば
 (北原白秋『桐の花』1913)
 
  のがれ来てはやも百日
(ももか)か下畑(しもはた)に馬鈴薯のはな咲きそむるころ
    
(1945「疎開漫吟」,齋藤茂吉『小園』) 
 
 日本でいうフライドポテトは、英語では potato chips、米語では French fries、仏語では pommes frites。
 日本でいうポテトチップスは、英語では crisps、米語では potato chips。
 アイルランドでは、18世紀にはジャガイモは唯一の主食作物となった。
 1845-1849年アイルランドにジャガイモの立ち枯れ病
(Phytophthora infestans による疫病)が流行すると「ジャガイモ飢饉」となり、約100万人が死に、約100万人が移民となってアメリカ・カナダなどに逃れた。アイルランドの人口は、1841年から1891年の間に818万人から470万人に減った。
 アンデスの人々は、ジャガイモを保存するために冷凍乾燥する。これをチューニョと呼ぶ。

跡見群芳譜 Top ↑Page Top
Copyright (C) 2006- SHIMADA Hidemasa.  All Rights reserved.
跡見群芳譜トップ ナス オクラ ブルーベリー コマツナ ソバ ナシ 農産譜index