辨 |
コノテガシワ属 Platycladus(側柏 cèbăi 屬)は、1属1種。
コノテガシワ P. orientalis(側柏)
オウゴンコノテ 'Aurea Nana'
イトヒバ 'Flagelliformis' (var.pendula)
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ヒノキ科 Cupressaceae(柏 băi 科)については、ヒノキ科を見よ。 |
訓 |
和名に含まれるかしわについては、カシワを見よ。児の手とは、葉が立った形を子どもの掌に擬えて。漢名の側も同様。 |
漢語の柏(ハク)には、二音二義がある。
① 古くは bó と読み、現代漢語では băi と読む(今日でも古典の中では bó と読む)。広くはヒノキ科の植物の総称、狭くはコノテガシワ。
② bò。キハダ。 |
『倭名類聚抄』柏に「和名加閉」と。
小野蘭山『本草綱目啓蒙』柏に、「カヘ和名鈔 コノテガシハ 両面 ハリギ土州」と。 |
説 |
中国(北部)原産、今日の中国では、園林・造林用に 新疆・青海を除く全国で植栽する。
日本への渡来時期は、元文(1736-1741)年間といい(牧野)、あるいは奈良坂の奈良豆彦神社の境内には樹齢450年のものがあるという。今日では、北海道南部から沖縄まで、全国で庭園樹として植える。 |
誌 |
中国では、種子を柏実・柏子仁(ハクシジン,băizĭrén,はくしにん)と呼び、葉を側柏葉(ソクハクヨウ,cèbăiyè)と呼び、葉のついた小枝を側柏(ソクハク,cèbăi)と呼び、薬用にする。『中薬志』Ⅱpp.282-284・Ⅲpp.512-514 『全国中草葯匯編』上/550-551 『(修訂) 中葯志』III/479-482,656-660 |
松柏(ショウハク,sōngbó,マツとコノテガシワ)は、漢土では古来長寿と貞節の象徴。
古くから松柏は「百木の長」(『史記』128「亀策列伝」)として、ともに常緑で葉を落とさずに茂る植物の象徴である。たとえば『荘子』徳充符篇に、「命を地に受けたるは、惟(ただ)松柏のみ独り正しく、冬夏 青青(せいせい)たり」とある。
この常緑性により、松柏は早くから次の二つの含意を持ち続けた。
1.『詩経』「小雅」「鹿鳴之什」の「天保」に、「松柏の茂るが如く、爾(なんじ)に承(つ)がざる無けん」とあるように、永遠の生命力、つまり衰えずに栄え続けること、ひいては長寿と子孫繁栄などの象徴となった。
2.『論語』子罕編に「歳寒くして、然る後に松柏の彫{シボ}むに後るるを知る」とあるように、逆境・困難の時にあってなお緑を絶やさない、すなわち節を守って変わらない、君子の高節の象徴となった。 |
松柏は、上記の1.の理由から、しばしば宮殿あるいは墓所・寺廟などに植えられる。
たとえば、杜甫「古柏行」に「孔明(諸葛亮)廟前老柏有り、柯は青銅の如く根は石の如し」と。同「蜀相(諸葛亮)」に「丞相の祠堂 何の処にか尋ねん、錦官城外 柏森森」と。 |
日本の『万葉集』18/4169 では、「松柏」はまつかえと読み、「松柏(まつかえ)の」は 栄えにかかる枕詞。 |
『万葉集』に、
奈良山の 児手柏の 両面(ふたおもて)に かにもかくにも 佞人(ねじけひと)の友
(16/3836,消奈行文)
ちば(千葉)のぬ(野)の このてかしはの ほほ(含)まれど
あやにかなしみ お(置)きてたかき(来)ぬ (20/4387,大田部足人)
と、「このてかしは」が詠われている。
しかし、コノテガシワは中国原産で、日本に入ったのは近世と思われ、これらの「このてかしは」はコノテガシワではない。それでは一体何かというについては諸説が有り、定まらない。
平安時代の歌には、「このてかしは」は、秋の野にハギとともに花開くといい、またしぐれ降るころのうす紅葉のさまは 葉守の神(カシワを見よ)も愛でるだろう、などと詠われていて、顕昭『袖中抄』(1185-1187)は これを男郎花(オトコエシ)の一名とする。
いはれの(磐余野)の はぎ(萩)がたえまの ひまひまに
このてがしはの はな(花)さきにけり (西行『山家集』雑)
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『花壇地錦抄』(1695)巻三「冬木之分」に、「両面(りやうめん) ひの木のるひにて、葉色青く見事。枝、根本より多ク出、葉ハ手を合せたるごとくつまり、四方面ニしげる故に、このてかしわ共いふ。此るひに数多ありて人をまよわす」、「唐ひば 両面ニまぎるゝ斗にて、葉も色も異あり。世間にて是を両面又ハこのてかしわといふて売買ス。吟味有べし」、「ちやうせんひば 両面のるい也。木のちいさき時ハ見分なし。後わるし。両面よりおとる」と。 |