きり (桐) 

学名  Paulownia tomentosa
日本名  キリ
科名(日本名)  キリ科
  日本語別名  
漢名  桐(トウ,tóng)、毛泡桐(モウホウトウ,máopāotóng)
科名(漢名)  泡桐(ホウトウ,pāotóng)科
  漢語別名  白桐(ハクトウ,báitóng)、泡桐(ホウトウ,pāotóng)、榮(エイ,róng)、榮桐
英名  Paulownia
2007/04/29神代植物公園
2006/05/05 神代植物公園

2006/05/11 国分寺市
2006/08/13 神代植物公園
2006/10/19 同上 2006/11/18 同左

 キリ科 Paulowniaceae(泡桐 pāotóng 科)には、アジアに2-3属 約20種がある。

  キリ属 Paulownia(泡桐屬)

  Wightia(美麗桐屬)
雲南・ヒマラヤ・インドシナ・マレシアに2種
    W. speciosissima(美麗桐)
雲南・ヒマラヤ・インドシナ産
   
 キリ属 Paulownia(泡桐 pāotóng 屬)には、7種が中国・臺灣にある。

  ココノエギリ
(ミカドギリ・シナギリ) P. fortunei(白花泡桐・泡桐) 『中国本草図録』Ⅰ/0327
         
臺灣・華東・兩湖・兩廣・四川・貴州・雲南・インドシナ産
  タイワンギリ P. kawakamii (臺灣泡桐・華東泡桐)
臺灣・華東・兩湖・兩廣・貴州産
  キリ P. tomentosa (桐・白桐・泡桐・銹毛泡桐)
   
 和名は、切り・伐りに由来し、「切れば早く長ず」「伐って倍になる」ことから。
 「此樹伐レバ生長早シ、故ニ此和名アリ」(『牧野日本植物図鑑』)。
 中国では、桐(トウ,tóng)の字でキリ・アオギリシナアブラギリなどを総称し、必要な場合にはキリを白桐(ハクトウ,báitóng)、アオギリを梧桐(ゴトウ,wútóng)・靑桐(セイトウ,qīngtóng)、シナアブラギリを油桐(ユトウ,yóutóngと言って区別した。
 『本草和名』桐葉に、「和名岐利乃岐」と。
 小野蘭山『本草綱目啓蒙』31 桐に、「ヒトハグサ
古歌 キリ 同木和方書」と。
 属名 Paulownia は、ロシア皇帝パウロ1世の王女・ニコライ1世の姉にして、オランダの王妃となった Anna Pavlovna(1795-1865)に因む。
 彼女は、シーボルトの庇護者であり、彼は『日本植物誌』
(1784)を彼女に献呈した。
 漢土中部原産かという。
 日本には、古く朝鮮を経て入ったものという。ただし、本州・九州の一部で自生状態の群落が見られるので 詳細は不明、とも言う。
 キリは成長が早く、材は色が白くつやがあり、軽く(比重0.3)柔らかいので、日本では箪笥・下駄などを作る。
 
(かつて日本では、女の子が生まれると桐を植え、嫁ぐ時に箪笥を作ってもたせてやる習慣があった。貝原益軒『大和本草』1709)。
 今日では、岩手県の県花。古来、南部桐が良質な桐材として有名であったことによる。
 中国では、ココノエギリ及びキリの根・果を泡桐(ホウトウ,pāotóng)と呼び薬用にする。『全國中草藥匯編 上』pp.466-467 『(修訂) 中葯志』III/463-468
 また、地方によりキリ或は同属の他種の花を、凌霄花として薬用にする。
『中薬志Ⅲ』p.360 
 材からは、さまざまな器物、ことには楽器を作った。琴瑟には底に梓(キササゲ)を、身に桐を使うというので、桐天梓地の成語があった。
 『詩経』国風・鄘風(ようふう)定之方中に、「定の方(まさ)に中(ちゅう)するとき、楚宮を作る。之を揆(はか)るに日を以てし、楚室を作る。之に榛(しん)(りつ)と、椅(い)(とう)(し)(しつ)を樹(う)え、爰(ここ)に伐(き)りて琴瑟(きんしつ)とす」と。
 後漢・桓譚『新論』
(『芸文類聚』44所引)に、「神農氏、継ぎて天下に王たり。是において始めて桐を削りて琴を為(つく)り、縄糸もて弦を為り、以て神明の徳を通じ、天人の和を合す」と。
 『礼記』「月令」三月に、「桐 始めて華さく」と。
 『大戴礼』「夏小正」三月に、「桐芭
(は。花)を払う。〔払なる者は払なり。桐芭の時なるなり。或ひと曰く、言ふこころは、桐芭の始めて生ずるは、貌 払払然(風がそよそよと吹く)たるなり、と。〕」と。
 『爾雅』釈木に、「櫬(シン,chèn)、梧。〔今の梧桐(アオギリ)なり。〕」と、また「榮(エイ,róng)、桐木。〔則ち梧桐なり。〕」と。
 ただし、榮はキリであり、郭璞の注は誤りとする。
 賈思勰『斉民要術』(530-550)巻5に「種槐・柳・楸・梓・梧・柞」が載る。
 『万葉集』5/810に、大伴旅人「梧桐日本琴一面」が載る。梧桐はアオギリであるはずだが、この梧桐はキリのつもりであろう。
 中国では鳳凰の棲家を梧桐と考えた
(アオギリを見よ)が、日本ではこれも桐(キリ)ととらえた。早く平安の初、弘仁11年(820)には天子の御袍に桐竹鳳凰の文様を用いており、鎌倉時代からは桐は天皇の紋章に用いられた。以後、民間でも桐に鳳凰は吉祥紋となり、花札の意匠に至る。
 清少納言『枕草子』第37段「木の花は」に、「きりの木の花、むらさきにさきたるはなほをかしきに、葉のひろごりざまぞ、うたてこちたけれど、こと木どもとひとしういふべきにもあらず。もろこしにことごとしき名つきたる鳥の、えりてこれにのみいるらん、いみじう心ことなり。まいて琴につくりて、さまざまなるね(音)のいでくるなどは、をかしなど世のつねにいふべくやはある、いみじうこそめでたけれ」と。
 なお、鳳凰がその木にのみとまるという梧桐は、アオギリである。

   桐の木にうづら鳴なる塀の内 
(芭蕉,1644-1694)
   秋風や桐に動いてつたの霜 
(同)
 
 『花壇地錦抄』(1695)巻三「冬木之分」に、「桐 青桐といふハ葉形各別なり。二種ともニ夏木、冬落葉。とうきりといふ有。草花の部にしるす」と。

   暮影(ゆふかげ)高く秋は黄の
   桐の梢の琴の音
(ね)
   そのおとなひを聞くときは
   風のきたると知られけり
     (島崎藤村「秋風の歌」(1896) より)

   手にとれば桐の反射の薄青き新聞紙こそ泣かまほしけれ
   さしむかひ二人暮れゆく夏の日のかたはれの空に桐の匂へる
   桐の花ことにかはゆき半玉の泣かまほしさにあゆむ雨かな
   二階より桐の青き葉見てありぬ雨ふる街の四十路の女
     
 (北原白秋『桐の花』1913)

     おお五月、五月、そなたの聲は
     あまい桐の花の下の竪笛
(フリウト)の音色(ねいろ)、・・・
        
木下杢太郎「金粉酒」(1910)より
 
 キリを紋章に用いるのは後醍醐天皇に始まるという。彼は足利尊氏に桐紋を贈った。

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