あおぎり (青桐) 

学名  Firmiana simplex (F.platanifolia)
日本名  アオギリ
科名(日本名)  アオイ科
  日本語別名  
漢名  梧桐(ゴトウ,wútóng) 
科名(漢名)  錦葵(キンキ,jĭnkuí)科
  漢語別名  靑桐(セイトウ,qīngtóng)、櫬(シン,chèn)
英名  Chinese parasol tree, Phoenix tree
2024/03/27 植物多様性センター  2024/04/11 同左

2007/04/29 野川公園 2024/04/25 植物多様性センター 
2006/05/11 野川公園

2005/07/11   三芳町竹間沢

2007/07/26 野川公園

2006/08/13 神代植物公園

2005/08/23 三好町竹間沢

2005/09/03  野川公園
2005/10/15  同上

 アオギリ属 Firmiana(梧桐 wútóng 屬)には、主としてアジア・太平洋の熱帯・亜熱帯に約12-18種がある。

  F. colorata(火桐) 雲南・東南アジア・インド・スリランカ産 『雲南の植物Ⅲ』99
  F. hainanensis(海南梧桐)
海南島産 
  F. major(雲南梧桐)
四川・雲南産 
  アオギリ F. simplex(F.platanifolia;梧桐・靑桐・桐麻)
   
 アオイ科 Malvaceae(錦葵 jĭnkuí 科)については、アオイ科を見よ。
 和名は、葉がキリに似て 幹があおいことから。
 『倭名類聚抄』に「陶隠居本草注云、桐有四種、靑桐梧桐崗桐椅桐」「和名皆木里」と。
 小野蘭山『本草綱目啓蒙』梧桐に、「アヲギリ アヤギリ アヲニヨロリ」と。
 古来中国では、桐の字でキリ・アオギリなどを総称し、必要な場合にはキリを白桐、アオギリを梧桐・青桐といって区別した。キリを見よ。
 『爾雅』釈木に、「櫬(シン,chèn)、梧。〔今の梧桐なり。〕」と、また「榮(エイ,róng)、桐木。〔則ち梧桐なり。〕」と。
 ただし、榮はキリであり、郭璞の注は誤りとする。
 本州(伊豆紀伊両半島)・四国(愛媛・高知)・九州(大隅半島)・琉球・臺灣・漢土・インドシナに分布。
 伊豆下田の白浜神社の群生は、野生の北限として天然記念物に指定。
 種子は蛋白質・脂肪に富み、梧桐子と呼んで薬用・食用にする。『中薬志Ⅱ』pp.397-399 『(修訂) 中葯志』III/574-577
 第二次世界大戦中の日本では、コーヒー豆の代用にした。
 中国では、梧桐は鳳凰の棲むところである。
 『詩経』大雅の巻阿に、「鳳凰鳴けり、彼の高き岡に。梧桐生ず、彼の朝陽に」とあり、『荘子』秋水篇に「夫の鵷鶵
(エンスウ,鳳凰の一種)、南海を発して北海に飛ぶ。梧桐に非ざれば止まらず、練実(竹の実)に非ざれば食わず、醴泉(甘い味のする泉の水)に非ざれば飲まず」と。のちには、鳳凰は「梧桐にあらざれば栖まず、竹実にあらざれば食わず」の諺を生んだ(『晋書』14・苻堅(在位351-355)載記下、『魏書』21下・彭城王勰(471-508)伝)
 
したがって、日本でキリに鳳凰を排する(皇室では衣裳などの文様や紋章、身近なところでは たとえば花札)のは誤りだが、すでに清少納言『枕草子』に誤解が見られる。
 後には優れた人物に譬え、日日その幹を洗い拭うとよい、とされた(『長物志』)
 倪瓉{ゲイサン}(1301-1374)は極度の潔癖症で、閣の前に植えた梧桐を、百日ごとに人に洗わせたという
(顧元慶『雲林遺事』)
 梧桐は月の正閏を知り、立秋の日に初めて葉を一枚墜すといい、「梧桐一葉落ちて、天下尽く秋を知る」の語があった(王象晋『群芳譜』)
 『楚辞』「九弁」に「白露 既に百草に下れば、奄
(にわか)にして此の梧楸(ごしゅう)を離披(りひ)す」とあり、朱熹注に「梧桐と楸梓(しゅうし,キササゲ)とは、皆 早く凋む」と。
 夏に涼しい木陰を提供し、葉落ちては秋を告げる樹木として、しばしば園林に植える。
 賈思勰『斉民要術』
(530-550)巻5に「種槐・柳・楸・梓・梧・柞」が載る。

 代表的な絵画作品に、次のようなものがある。
 アオギリそのものを花卉画の題材として画いたものとして、
   ○明・徐渭(1521-1593)「雑花図」巻 (南京博物院蔵)

 アオギリに関わる故事を画いたものとして、
   ○明・崔子忠(?-1644)「雲林洗桐図」軸 (台北/国立故宮博物院蔵)

 アオギリを画面の構成要素の一として画いたものは多数あるが、その一例として、
   ○明・仇英「桐陰清話図」軸 (台北/国立故宮博物院蔵)

 日本では、『万葉集』に 梧桐で作った日本琴の記事が出る(5/810)。しかし、これはキリの漢名を梧桐と誤解したものであって、実際にはキリであったであろう。
 「四月花をひらき、六月に実を結び、秋熟して、生(なま)ながらも食し、炒りても食すべし。めづらしき菓子なり。
  又梧桐月を知ると云ふ事あり。閏月まで知る物なり。下よりかぞへて十二葉あり。一方に六葉づゝ也。閏月ある年は十三葉なり。小き所則ち閏としるべし。又立秋の日をも知る。其日に至りて一葉先づ落つ。花もきれいに見事なる物にて、庭にうへ置きても愛すべき木なり。無類なる霊木なり」(宮崎安貞『農業全書』1697)。

 吾輩も彼等の變化なき雜談を終日聞かねばならぬ義務もないから、失敬して庭へ蟷螂(かまきり)を探しに出た。梧桐(あをぎり)の綠を綴る間から西に傾く日が斑(まだ)らに洩れて、幹にはつくつく法師(ぼふし)が懸命にないて居る。晚はことによると一雨かゝるかもしれない。(夏目漱石『吾輩は猫である』) 


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