辨
訓
「奈良の興福寺にいた玄宗という僧侶が庭の桜に愛情を注いだことから、その桜を「楊貴妃」と呼ぶようになったといわれる」(勝木俊雄『日本の桜』)。 言うまでもなく、玄宗は唐の皇帝。楊太真はその貴妃、漢土の歴史を彩る美女の一。
説
名は江戸時代初期から知られる。今日の'楊貴妃'は明治時代の荒川堤から広まった。
誌