日本書紀 衣通姫
(そとおりひめ) 

作者名  
作品名  日本書紀 巻13 允恭天皇 8年
成立年代  
 その他  
 (允恭天皇)八年の春二月に、藤原に幸(みゆき)す。密(しのび)に衣通郎姫(そとほりのいらつめ)の消息(あるかたち)を察(み)たまふ。是夕、衣通郎姫、天皇(すめらみこと)を恋(しの)びたてまつりて独(ひとり)(はべ)り。其れ天皇の臨(いでま)せることを知らずして、歌(うたよみ)して曰はく、

  わ
(我)がせこ(夫子)が く(来)べきよひ(宵)なり
   ささがねの くも
(蜘蛛)のおこな(行)ひ こよひ(今宵)しる(著)しも

天皇、是の歌を聆
(きこ)しめして、則ち感(め)でたまふ情(みこころ)(おは)します。而して歌して曰(のたま)はく、

  ささらがた
(細紋形) にしき(錦)のひも(紐)
   と
(解)きさ(放)けて あまたはね(寝)ずに ただひとよ(一夜)のみ

明旦
(くるつあした)に、天皇、井の傍(ほとり)の桜の華を見(みそなは)して、歌して曰はく、

  はな
(花)ぐは(妙)し さくら(桜)のめ(愛)
   こと
(如此)(愛)でば はや(早)くはめ(愛)でず わがめづるこ(子)
 
 詠いこまれた花   サクラ
 『日本書紀』に現れる衣通姫は、允恭天皇の皇后である忍坂大中姫(おしさかのおほなかつひめ)の妹。
 「容姿
(かほ)絶妙(すぐ)れて比(ならび)無し。其の艶(うるは)しき色、衣(そ)より徹(とほ)りて晃(て)れり。是を以て、時人、号(なづ)けて、衣通郎女と曰(まう)す」(允恭紀7年冬12月の条)とあり、一説に「そとおし」と読む。
 允恭天皇の寵愛を受け、藤原
(奈良県橿原市高殿町か)に住んだ。

 なお允恭天皇は、『宋書』にいう倭王済に当り、5世紀中葉に在位したとされる。



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