『万葉集』中、フジをよむ歌
→フジ
長歌
・・・ をふの浦に 霞たなびき 垂姫に 藤浪咲きて ・・・
反歌
藤なみの 花の盛りに かく(如此)しこそ 浦こぎ廻(み)つつ 年にしのはめ
(19/4187;4188, 大伴家持)
此間(ここ)にして そがひ(背向)に見ゆる わがせこ(背子)が 垣つの谿(たに)に
あ(明)けされば 榛のさ枝に 暮(ゆふ)されば 藤の繁みに
遥遥(はろばろ)に 鳴く霍公鳥(ほととぎす) ・・・
(19/4207,大伴家持)
・・・遥遥(はろばろ)に 喧(な)く霍公鳥
立ちく(潜)くと 羽触(はぶり)にちらす 藤浪の 花なつかしみ
引き攀じて 袖にこき(扱入)れつ 染まば染むとも
反歌
霍公鳥 鳴く羽触にも 落(ち)りにけり 盛り過ぐらし 藤なみの花
(19/4192;4193,大伴家持「霍公鳥並びに藤の花を詠む一首」)
ふじなみは さきてちりにき うのはなは いまそさかりと
あしひきの のにもやまにも ほととぎす なきしとよめば ・・・
(17/3993,大伴池主)
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短歌
恋ひしけば 形見にせむと 吾が屋戸に
殖ゑし藤波 今開(さ)きにけり (8/1471,山部赤人)
藤浪の 花は盛りに 成りにけり
平城京(ならのみやこ)を 御念(おも)ほすや君 (3/330,大伴四綱)
いも(妹)がいへ(家)に いくりのもり(森)の 藤の花
いまこ(来)む春も つね(常)かく(如此)し見む (17/3952,僧玄勝か)
霍公鳥(ほととぎす) 来鳴き響(とよも)す 岡辺なる 藤波見には 君は来じとや
(10/1991,読人知らず)
(天平勝宝2年4月)十二日、布勢の水海に遊覧し、多祜(たこ)の湾に
船泊して、藤の花を望み見て各々懐を述べて作る歌四首
藤なみの 影なす海の 底清み しづく石をも 珠とそ吾が見る
(19/4199,大伴家持)
多祜の浦の 底さへにほふ 藤なみを かざして去(ゆ)かむ 見ぬ人の為
(19/4200,内蔵忌寸縄麿)
いささかに 念ひて来しを 多祜の浦に 開ける藤見て 一夜経ぬべし
(19/4201,久米広縄)
藤なみを 借廬(かりほ)に造り 湾廻(うらみ)する
人とは知らずに 海部(あま)とか見らむ
(19/4202,久米継麿)
はる(春)べさく ふじ(藤)のうら葉の うらやすに
さぬ(寝)る夜そなき 児ろしも(思)えば (14/3504,読人知らず)
藤浪の 咲ける春野に 蔓(は)ふ葛の 下よし恋ひば 久しくも有らむ
(10/1901,読人知らず)
藤浪の 散らまく惜しみ 霍公鳥 今城の岡を 鳴きて越ゆなり (10/1944,読人知らず)
ふじなみの しげ(繁)りはす(過)ぎぬ あしひきの
やま(山)ほととぎす などかき(来)な(鳴)かぬ (19/4210,久米広縄)
(ほととぎす) あすのひ(日)の ふせ(布勢)のうらみ(浦廻)の
ふじなみに けだしき(来)な(鳴)かず ち(散)らしてむかも (18/4043,大伴家持)
春日野の 藤は散りにて 何をかも 御狩の人の 折りて挿頭(かざ)さむ
(10/1974,読人知らず)
・・・俗の語に云はく、藤を以て錦に続ぐと ・・・
(17/3966題詞;3969題詞, 大伴家持)
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枕詞「ふじなみ(藤浪・藤波)の」(思ひまつはり、ただ一目、たつなどにかかる)
しき嶋の やまとのくにに 人多(さは)に 満ちて有れども 藤浪の 思ひ纏はり ・・・
(13/3248,読人知らず)
かくしてそ 人は死ぬと云ふ 藤浪の 直(ただ)一目のみ 見し人故に
(12/3075,読人知らず)
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枕詞「ふじごろも(藤衣)」(折る、なる、まどおなどにかかる)
大王の 塩焼く海人の 藤衣 なれはすれども いやめづらしも (12/2971,読人知らず)
須磨の海人(あま)の 塩焼衣(しほやきぎぬ)の 藤服(ふじごろも)
間遠にし有れば 未だ着なれず (3/413,大網人主)
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