辨 |
今日マキと通称する植物(即ち園芸品としてのマキ)には、次の二種がある。
イヌマキ(クサマキ) マキ科 Podocarpus macrophyllus(羅漢松)
コウヤマキ(ホンマキ) コウヤマキ科 Sciadopitys verticillata(金松)
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裸子植物については、裸子植物を見よ。 |
コウヤマキ科 Sciadopityaceae(金松 jīnsōng 科)には コウヤマキ属 Sciadopitys(金松 jīnsōng 屬)1属のみがあり、コウヤマキ属には コウヤマキ(金松)1種のみがある。日本特産。 |
訓 |
和名のマキは、本来は真木(まき)の意。古くはヒノキ・スギ・マツなど常緑針葉樹の総称、今日では コウヤマキとイヌマキを指す。 |
コウヤは、高野山(和歌山県)の霊木であることから。 |
説 |
本州(福島県・中部地方以南)・四国・九州(宮崎県以北)に分布。
中国では、青島・廬山・南京・上海・杭州・武漢などで栽培。 |
誌 |
マキの材は、建築・器具などに用いる。樹皮は槙肌と呼び、舟・桶などの隙間の詰物に用いる。 |
古くから有用な材の代表の一であり、スギ・ヒノキ・マキ(柀)・クスは素戔鳴命(すさのをのみこと)の毛から成ったという(『日本書紀』巻1「材木の起源」)。
また『日本書紀』巻3神武天皇即位前紀戊午9月に、東征の一場面として次の逸話が載る。すなわち、「又祈(うけ)ひて曰(のたま)はく、「吾今当に厳瓫(いつへ)を以て、丹生之川に沈めむ。如(も)し魚(いお)大きなり小しと無く、悉(ふつく)に酔(ゑ)ひて流れむこと、譬(たと)へば柀(まき)の葉の浮き流るるが猶(ごと)くあらば、吾必ず能く此の国を定めてむ。如し其れ爾(しか)らずは、終(はた)して成る所無けむ」とのたまひて、乃ち瓫(いつへ)を川に沈む。其の口、下に向けり。頃(しばらく)ありて、魚皆浮き出でて、水の随(まにま)に噞喁(あぎと)ふ。時に椎根津彦(しひねつひこ)、見て奏す。天皇(すめらみこと)大きに喜びたまひて、乃ち丹生の川上の五百箇(いほつ)の真坂樹(まさかき)を抜取(ねこじ)にして、諸神(もろかみたち)を祭(いは)ひたまふ」とあり、註に「柀、此をば磨紀(まき)と云ふ」とある。 |
『万葉集』では、真木は 檜・杉・松などの常緑樹の総称、とくにはスギを言う。
文藝譜を見よ。 数例を挙げれば、
・・・ 績麻(うみを)なす 長柄(ながら)の宮に 真木柱 太高(ふとたか)敷きて
食国(をすくに)を 治め賜へば・・・
(6/928,笠金村)
安太へゆく 小為手(をすて)の山の 真木の葉も 久しく見ねば 蘿(こけ)生しにけり
(7/1214,読人知らず)
しぐれの雨 間無くし零(ふ)れば 真木の葉も 争ひかねて 色づきにけり
(10/2196,読人知らず)
奥山の 真木の葉凌ぎ ふる雪の ふりは益すとも 地に落ちめやも (6/1010,橘奈良麿)
真木の上に ふり置ける雪の しくしくも 念ほゆるかも さ夜問え吾が背
(8/1659,他田広津娘子)
奥山の 真木の板戸を 押し開き しえや出で来ね 後は何せむ (11/2519,読人知らず)
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「真木さく」は、檜(ひのき)にかかる枕詞。 |
西行(1118-1190)『山家集』に、
山ふかみ まきのは(葉)わ(分)くる 月かげは はげしき物の すごき成けり
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『八代集』には、
村雨の 露もまだひぬ 槙の葉に 霧立ちのぼる 秋の夕ぐれ
(寂蓮、『新古今集』『百人一首』)
時雨の雨 染めかねてけり 山しろの ときはの杜の 槙の下葉は
(能因、『新古今集』)
まきの屋に 時雨の音の かはる哉 紅葉や深く 散りつもるらん
(藤原実房、『新古今集』)
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『花壇地錦抄』(1695)巻三「冬木之分」に、「高野槙 かうやまきハ、葉ほそく長ク付ク。いぬまき、らかんしゆといふ木、よく似たる物にて、世間の植木屋かうやまきと云て売る。ぎんミ有べし」と。 |
いわゆる「木曾五木」の一、高野山「高野六木(ヒノキ・ツガ・モミ・アカマツ・スギ・コウヤマキ)」の一。 |