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『万葉集』に、
吾妹子が 見し鞆浦(とものうら)の 天木香樹(むろのき)は 常世にあれど 見し人そなき
鞆浦の 磯の室の木 見む毎に 相見し妹は 忘らえめやも
磯の上に 根は(這)ふ室の木 見し人を 何在(いづら)と問はば 語り告げむか
(3/446;447;448, 大伴旅人。鞆浦は広島県福山市鞆街の海岸)
磯の上に 立てる廻香瀧(むろのき) ねもころに 何か深めて 念(おも)ひ始(そ)めけむ
(11/2488,読人知らず)
はなれそ(離磯)に た(立)てるむろの木 うたがたも
ひさ(久)しき時を す(過)ぎにけるかも (15/3600,読人知らず)
しましくも ひと(独)りありうる ものにあれや
しま(島)のむろのき はな(離)れてあるらむ (15/3601,読人知らず)
玉掃(たまばはき) 苅り来(こ)鎌麿(かままろ) 室の樹と 棗(なつめ)が本と かき掃かむ為
(16/3830,長忌寸意吉麿「玉掃・鎌・天木香(むろ)・棗を詠む歌」)
と詠われているむろのきは、一説にハイネズ J. conferta であるという。 |