ぼたん (牡丹) 

学名  Paeonia suffruticosa (P. arborea, P. moutan)
日本名  ボタン
科名(日本名)  ボタン科
  日本語別名  ハツカグサ(廿日草)、ナトリグサ、フカミグサ、ヨロイグサ、ナトリグサ、ヤマタチバナ、テリサキグサ
漢名  牡丹(ボウタン,mudan)
科名(漢名)  毛茛(モウコン,maogen)科
  漢語別名  木芍藥(ボクシャクヤク,mushaoyao)、洛陽花(ラクヨウカ,luoyanghua)、穀雨花(コクウカ,guyuhua)、富貴花(フウキカ,fuguihua)、花王(カオウ,huawang)、百兩金(ヒャクリョウキン,bailiangjin)、天香國色(テンコウコクショク,tianxiangguose)
英名  Tree peony, Japanese tree peony
2006/04/24 泉蔵院 (三芳町竹間沢)

2008/04/17 薬用植物園


2009/04/30 薬用植物園


 ボタン属 Paeonia(芍藥屬)の植物は、旧来キンポウゲ科に入れられてきたが、近来ボタン科 Paeoniceae の1科1属として扱うことが多い。(中国では、旧来どおり毛茛科。)
 ボタン属は、木本性のボタン類と草本性のシャクヤク類からなり、約30-50種がある。
   P. anomala (變葉芍藥)
   ムラサキボタン
(ノボタン) P. delavayi (野牡丹)
       
 雲南・四川・チベット産、19c.後半に発見、花は深紅色・暗赤色。
       『雲南の植物Ⅰ』72・『雲南の植物』104・『中国本草図録』Ⅱ/0559
     var. lutea → P. lutea
   P. hybrida (塊根芍藥)
   ヤマシャクヤク P. japonica
   シャクヤク
(広義) P. lactiflora
     シベリアシャクヤク var. lactiflora (芍藥) 中国(東北)・シベリア産
     シャクヤク var. trichocarpa (P.albiflora var.trichocarpa;毛果芍藥)
   キボタン P. lutea (P.delavayi var.lutea;黃牡丹)
       
 雲南・四川・チベット産、19c.後半に発見、黄花。
       『中国本草図録』Ⅶ/3094・『雲南の植物Ⅰ』73・『雲南の植物』105・
       『週刊朝日百科 植物の世界』7-195
     タイカキボタン var. ludlowii
1936年チベットで発見
   P. mairei (美麗芍藥)
   P. mascula
ヨーロッパ産
   ベニバナヤマシャクヤク P. obovata (山芍藥・草芍藥)
       
 日本・中国・シベリア。『中国本草図録』Ⅱ/0560
     var. willmottiae (毛葉芍藥)
   オランダシャクヤク P. officinalis(E.Common peony)
フランス乃至アルバニアに分布
   P. papaveracea (P. suffruticosa var. papaveraceae; 紫斑牡丹)
   キョウヨウボタン P. potanini (保氏牡丹)
 四川西部産
   ボタン P. suffruticosa (牡丹) 
陝西産。『中国本草図録』Ⅰ/0061
     カンボタン var. hiberniflora
     var. spontanea (矮牡丹) 
陝西産
   シセンボタン P. szechuanica (四川牡丹) 四川西北部産
   ホソバシャクヤク P. tenuidolia
ヨーロッパ・カフカス産
   P. thalictrumifolia (茂紋牡丹)
   P. veitchii (川芍藥・赤芍・毛果赤芍) 中国西部産。
       『中薬志Ⅰ』pp.238-242、『中国本草図録』Ⅶ/3095・『週刊朝日百科 植物の世界』7-195
   P. willmottiae(毛葉芍藥)
   P. yunnanensis (雲南牡丹) 
 漢名の牡丹は、牡の字は盛んな意(或は根から苗の生える様子から)、丹は赤色の花を貴んだから。
 木芍薬とは、花が芍薬に似て、冬の幹が木に似ることから。
 穀雨花は、花期が二十四気の一である穀雨
(旧暦4月20日)のころであることから。
 凡そ花の中で牡丹を第一とし、芍薬を第二とする。故に、世に牡丹を花王と為し、芍薬を花相と為す。
(以上、李時珍『本草綱目』など。) 
 和名は漢名の音の転訛。平安時代には、ぼうたん(枕草子143)・ほうた・ほうたん(蜻蛉日記)なとども記されている。
 深江輔仁『本草和名』(ca.918)牡丹に、「和名布加美久佐、一名也末太知波奈」と。
 源順『倭名類聚抄』
(ca.934)牡丹に、「和名布加美久佐」と。
 小野蘭山『本草綱目啓蒙』10
(1806)牡丹に、「ハツカグサ咲シヨリ散ハツルマデ見シホドニ花ノモトニテ廿日ヘニケリト詞花集に関白太政大臣藤原朝臣忠通公ノ歌ヲ載、コレニ依テハツカグサト呼 フカミグサ延喜式 ナトリグサ万葉集 山タチバナ テリサキグサ同上 ヨロヒグサ古歌 トナリグサ同上 今ハ通名」と。
 中国の秦嶺山脈周辺(河北・河南・山東・四川・陝西・甘肅)の原産。
 唐代以降品種改良が進み、万重
(まんえ)を種とする多くの品種群がある。
 日本には、平安時代初期に入った。江戸時代に改良が進み、重瓣の品種群を生み出した。
 ヨーロッパには、1656年中国からオランダに入った。
 19世紀後半にキボタン P.lutea、ムラサキボタン P.delavayi が発見されると、在来種との交配が試みられ、フランスとアメリカで多くの品種を生み出した。
 その根皮を丹皮(タンピ,danpi)・牡丹皮・粉丹皮と呼び薬用とする。『中薬志Ⅲ』pp.429-431、日本薬局方ではボタンピ 
 中国では、はやく漢代に薬用とされていた。
 花を観賞し始めたのは六朝時代からといわれるが、必ずしも確かではない。
 段成式(803?-863)『酉陽雑俎』巻19に、『謝康楽集』(謝霊運 385-433)を引いて「竹間水際牡丹多し」とある。ただしこの句は現行本の『謝康楽集』には見えない。また六朝以前には、「牡丹」の語はマンリョウカラタチバナを指していたともいう。
 また韋絢『劉賓客嘉話録』に、「世謂牡丹花近有。蓋前朝文士集中無牡丹歌詩。公
(劉禹錫 772-842)嘗言、楊子華有画牡丹処極分明。子華北斉人、則知牡丹花亦久矣」と(『説郛』■36)。ただし『歴代名画記』楊子華条には楊子華が牡丹を画いた記事は無い。
 畢竟、ここに記される牡丹が 今日言うところのボタンであるかどうか
(実際は同属のシャクヤクだったのではないかとも言う)の問題をも含めて、「いずれにしてもこれだけの資料によって、六朝に牡丹があってそれが観賞されたと見ることはむつかしいであろう。隋から唐の初にかけても、まだ牡丹の花の観賞のことは行われたかどうか分からない」と中田勇次郎の説(『文房清玩 三』洛陽牡丹記解説)
 ボタンの花が確実に観賞され始めたのは、隋唐以降である。同属のシャクヤクに似ていながら、その観賞の歴史ははるかに後れるので、はじめ木芍薬と呼ばれた(これに対して シャクヤクは草芍薬て呼んだ)
 唐以後、ボタンは富裕な都市住民
(例えば宋代では洛陽・蘇州など)に極めて愛せられ、別に花王(百花王)・花神と唱えられ、富貴花・洛陽花・百両金・穀雨花・天香国色などと称されるに至った。
 隋の煬帝(在位604-617)は洛陽に西苑を建て、多くの花木を植えたが、その中に易州から運ばせた20箱もの牡丹があった。唐代、長安から次第に洛陽に移入され、「(則天)武后(在位690-705)、朝 上苑に游び、百花をして倶に開かしむ。牡丹一人遅る。逐って洛陽に貶す」という有名な伝説が生れた。
 また『李翰林別集序』に、「天宝
(742-756)中、李白供奉翰林、時禁中初重(種)木芍薬、移植興慶池沈香亭前、会花開、上(玄宗,在位712-756)賞之、太真妃(楊貴妃)従、上曰〈賞名花、対貴妃、焉用旧楽詞為〉、命李亀年持金花箋、宣賜白、為〈清平楽詞〉三章、李白奉詔、即興揮毫、写下了〈名花傾国両相歓、長得君王待笑看、解釈春風無限恨、沈香亭北倚欄干〉等絶句」とあるが、これも多分に脚色されているものか。
 そのほか、劉禹錫は「庭中芍薬妖無格、池上芙蓉浄少情、唯有牡丹真国色、花開時節動京城」
(「賞牡丹」)と謳い、白居易(772-846)は「花開き花落つ二十日、一城の人皆狂うが若し」(「牡丹芳」)と謳う。その価も高く、柳渾(715-789)は「近来、牡丹奈何(イカン)とするも無し、数十千金一窠(ひとかこい)を買う」と(『全唐詩』7;『酉陽雑俎』続集9支植上)
 今日現存する最古のボタンの絵は、次のものである。
   ○唐・作者不詳「花鳥図」壁画

     
(838, 王公 淑夫人呉氏 合装墓 壁画。北京市海淀区八里荘出土)
     画かれているのはキボタン P.lutea(黄牡丹)乃至その品種。
 このように、盛唐(710-765)以降 華北の両京においてボタンの観賞は大いに流行し、その風は宋代以降に引き継がれた。
 北宋時代、洛陽で大流行した牡丹は「洛陽牡丹 甲天下」と評せられ、牡丹は洛陽花と、洛陽は牡丹城と称せられ、欧陽脩
(1007-1072)は『洛陽牡丹記』(1030)を作った(なお 1982年以来 牡丹は洛陽の市花)。その他、宋代に周師厚『洛陽牡丹記』(1081)・張邦基『陳州(河南省)牡丹記』・陸游『天彭(四川省)牡丹譜』・丘濬『牡丹栄辱志』等が著され、明清にも多くの譜志が編まれた。
 古来、富貴吉祥・繁栄幸福の象徴。
 周敦頤「愛蓮説」に「牡丹は花の富貴なる者なり」と。
 日本には、桓武天皇のとき、弘法大師空海(774-835)によってもたらされたという。

    咲きしより 散り果つるまで 見しほどに 花のもとにて 二十日へにけり
      
(藤原忠実、『詞花和歌集』)
    形見とて みれば嘆きの ふかみぐさ 何なかなかの 匂ひなるらむ
      
(太宰大弐重家、『新古今集』)
 
 近世に入り、元禄(1688-1703)時代から一般に栽培され、品種改良が進んだ。
 宮崎安貞『農業全書』(1696)に、「園に作る薬種」の一として「牡丹」をあげ、
 「牡丹は是を花王と云ふ。しかるに花を見るのみならず、根をとり薬種とし、尤良薬にて多く用ゆる物なり。是も山城にて多く作る。花一重にして白く、又は紅紫なると両様を薬種に用ゆるなり。・・・売りて厚利の物なり。尤毎年は根をとらずして二三年に一度づゝ掘取るといへども、手入により根甚だはびこり、其上斤目多き物なる故、過分の利を得べし。是久しくして利を見る物なるゆへ、廻り遠き事の様なれども、沙地の肥へたる暖なる所にて、いつとなく年年に苗をうへ立て置けば、却つて他の作り物より手間も入らず、無造作にて利潤は多し。殊に多く作りたらば、若し間に勝れたる名花も出来ぬべし。然れば一ぺんの利売のみにあらず。面白くやさしき作り物なり」(岩波文庫本)と。

   寒からぬ露や牡丹の花の蜜 
(芭蕉,1644-1694)
   牡丹蘂ふかく分出
(わけいづ)る蜂の名残哉 (同)

    冬牡丹千鳥よ雪のほとゝぎす 
(芭蕉、桑名本当寺にて。『野ざらし紀行』1684)

   虹を吐いてひらかんとする牡丹哉 
(蕪村,1716-1783)
   金屏のかくやく
(赫奕)としてぼたんかな (同)
   山蟻のあからさまなり白牡丹 
(同)
   詠物の詩を口ずさむ牡丹哉 
(同)
   寂として客の絶間のぼたん哉 
(同)
   ちりて後おもかげにたつぼたん哉 
(同)
   牡丹切て気のおとろひし夕かな 
(同)
   牡丹散て打かさなりぬ二三片 
(同)
 

       まつ白な牡丹の花、
       觸るな、粉が散る、匂ひが散るぞ。
          
木下杢太郎「金粉酒」(1910)より

   近よりてわれは目守
(まも)らむ白玉の牡丹の花のその自在心
     
(1946,齋藤茂吉『白き山』) 
 


2006/02/11 深大寺(調布市)


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