〔正応二年(1289,作者32歳)〕しはす(師走)になりて、かはごゑ〔埼玉県川越市〕の入だう(道)と申物の跡なるあま(尼)の、むさしのくに(武蔵国)にかはぐち〔埼玉県川口市〕といふ所へくだる。あれより、としかへ(年返)らば、ぜん光寺〔長野県長野市善光寺〕へまいるべし」といふも、たよ(便)りうれしき心ちしてまかりしかば、雪ふりつもりて、わけゆくみち(道)もみえぬに、かまくら〔神奈川県鎌倉市〕より二日にまかりつきぬ。
かやうの物へりたるありさま、まへ(前)にはいるま(入間)川とかやながれたる。むかへにはいはぶち(岩淵)のしゅく(宿)〔東京都北区岩淵〕といひて、遊女どものすみか(住処)あり。山といふ物はこのくにうちにはみえず、はるばるとあるむさしのゝかや(萱)が下を(折)れ、霜か(枯)れはてゝあり〔参考:霜枯のかやが下をれとにかくに思ひ乱れてすぐすころかな 『後拾遺集』藤原惟規〕。なかを分すぎたるすまゐ、思やる都のへだゝ(隔)り行すまゐ、かなしさもあはれさもと(取)りかさねたる年のくれなり。
・・・。
雪さへかきくらしふ(降)りつもれば〔参考:かきくらしふる白雪の下消えにきえて物思ふ頃にもあるかな『古今集』壬生忠岑〕、なが(眺)めのすゑさへみち(道)たえはつる心ちしてながめゐたるに、あるじのあま君がかた(方)より「雪のうちいかに」と申たりしかば、
思ひやれうきことつもるしら雪のあとなき庭にきえかへる身を
と(問)ふにつらさのなみだ(涙)もろさも人めあやしければ〔参考:自からとふにつらさの跡をだにみて恨みばや庭の白雪『続拾遺集』藤原光俊〕、しのびて又とし(年)もかへりぬ。
〔正応三年(1290,作者33歳)〕のきばの梅に木づたふうぐひす(鶯)のね(音)におどろかされても〔参考:風渡る軒ばの梅に鶯のなきて木づたう春の曙『千載集』藤原実家〕、あひみかへらざるうらみしのびがたく、むかしをおもふ涙は、あらたまるとし(年)ともいはずふる物なり〔参考:新しき年ともいはずふるものはふりぬる人の涙なりけり『源氏』葵〕。
きさらぎの十日あまりのほどにや、ぜんくわう(善光)寺へ思たつ。・・・〔善光寺に〕秋まではとどまりぬ。
八月のはじめつかたにもなりぬれば、むさしのゝ秋の気色ゆかしさにこそ、いまゝでこれらにも侍つれとおもひて、むさしのくにへかへりて、あさくさ〔東京都台東区浅草〕と申だう(堂)〔浅草寺〕あり。十一めんくわんおん(十一面観音)のおはします、れいぶつ(霊仏)と申もゆかしくてまい(参)るに、の(野)ゝなかをはるばるとわけゆくに、はぎ、をみなへし、をぎ、すすきよりほかは、またまじる物もなく、これがたか(高)さは、むま(馬)にのりたるおとこのみ(見)えぬほどなれば、をしはかるべし。三日にや、わけゆけどもつきもせず。ちとそばへ行(ゆく)みち(道)にこそしゅく(宿)などもあれ、はるばる一とをりは、こしかたゆくすゑのはら(野原)なり。くわんおんだう(觀音堂)はちとひきあがりて、それも木などはなきはら(原)の中におはしますに、まめやかにくさ(草)のはら(原)よりいづる月かげ〔参考:行末は空もひとつのむさし野に草のはらよりいづる月影『新古今集』藤原良経〕とおもひいづれば、こよひは十五夜なりけり。・・・くさのはらよりいでし月かげ、ふけ行まゝにすみのぼり、葉ずゑにむすぶしらつゆ(白露)はたまかとみゆる心ちして、
雲の上にみしも中々月ゆへの身のおもひではこよひなりけり
なみだにうかぶ心ちして、
くまもなき月になりゆくながめにも猶おもかげはわすれやはする
あけぬれば、さのみ野はらにやどるべきならねば返りぬ。
さてもすみだがはら(隅田川原)ちかきほどにやとおもふも、いと大なるはし(橋)の、きよみづ(清水)・ぎをん(祇園)のはし(橋)のてい(体)なるをわたるに、きたなげなきおとこ二人あひたり。このわたりにすみだ川といふかは(川)の侍なるはいづくぞととへば、これなんその川なり。このはしをばすだ(須田)のはしと申侍。むかしははし(橋)なくて、わたしぶねにて人をわたしけるも、わづらはしくとて、はし(橋)いできて侍。すみだがわなどはやさしきことに申をきけるにや。しづ(賤)がことわざにはすだがわ(須田川)のはしとぞ申侍。このかはのむか(向)へをばむかしはみよしの(三芳野)ゝさと(里)ゝ申けるが、しづがか(刈)りほ(干)すいね(稲)と申物にみ(身・実)のい(入)らぬ所にて侍けるを、ときの国司さとのな(名)をたづねきゝて、ことはり(理)なりけり〔参考:不熟の穀物を関東・北陸・中部地方で「みよし」または「みよさ」「しいな」などというむなどという(角川文庫注)。新日本古典文学大系は別解釈。〕とて、よしだ(吉田)のさとゝ名をあらためられてのち、いね(稲)うるはしく、みもいり侍などかたれば、なりひらの中将〔在原業平, 825-880〕宮こどり(鳥)にことゝ(言問)ひけるもおもひいでられて、とり(鳥)だにみえねば。
たづねこしかひこそなけれすみだがわすみけんとりのあとだにもなし
〔参考:名にし負はばいざ言問はん都鳥我が思ふ人はありやなしやと『伊勢物語』9段〕
川ぎりこめてこしかた行さきもみえず、なみだにくれてゆくおりふし、くもい(雲居)はるかになくかりがね(雁)のこゑも、おりしり(折知り)がほに覚え侍て。
旅の空なみだにくれて行袖をことゝふかりのこゑぞかなしき
〔参考:み吉野のたのむの雁もひたぶるに君が方にぞよると鳴くなる / わが方によると鳴くなるみよし野のたのむの雁をいつか忘れん『伊勢物語』10段〕
ほりかね(掘兼)の井〔埼玉県狭山市堀兼など〕はあともなくてたゞかれたる木の一(ひとつ)のこりたるばかりなり。これよりおくざま(奥様)ゝでもゆきたけれども、恋ぢのすゑにはなをせきもり(関守)もゆるしがたき世なれば〔参考:いかにせむ恋路の末に関すゑてゆけども遠き逢坂の山『新勅撰集』中宮少将〕、よしや、中々と思返して、又都のかたへ返のぼりなんと思て、かまくら(鎌倉)へかへりぬ。
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