辨 |
多くの系統・品種がある。大別すると次の二系統に分れる。
一は実がヒョウタン型にまん中でくびれるもので、カボチャ・サイキョウ(西京)カボチャ・フクベカボチャ・トウナス(唐茄子)・シガタニ(鹿ケ谷)などと呼ばれる。 |
一はボウブラ系で、実はやや扁平な球形をなす。チリメン(縮緬)カボチャとキクザ(菊座)カボチャに分れる。 |
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カボチャ属 Cucurbita(南瓜屬)の植物については、カボチャ属を見よ。 |
訓 |
和名カボチャは、原産地と勘違いされたカンボジア Cambodia(現地名はカンプチア Kampuchea)の転訛。
ボウブラは、ポルトガル名 abobora の転訛。 |
『大和本草』に南瓜{ホウフラ}と、「南京ボウブラアリコレハクビアリ」と。
小野蘭山『本草綱目啓蒙』(1806)24南瓜に、「ボウブラ ボウブナ肥前 ボブラ加州 ナングハ仙台 サツマ備前」「京師ニテハ誤テ カボチヤト呼」と、また「・・・トウナスビト云、一名カボチヤ カボチヤボウブラ ナンキンボウブラ 日向ウリ豫州」と。 |
本山荻舟『飲食事典』(1958)によれば、「関東ではトウナス、関西ではカボチャまたはナンキン、九州ではボウブラという」と。 |
説 |
東アジアで近世以来栽培してきたカボチャはニホンカボチャ C. moschata、メキシコ南部・中央アメリカ原産。
肉質は粘質で、煮崩れしにくい。 |
中国では、元代に「南瓜」が栽培されていた(『飲食須知』)。 |
日本には、天文10(1541)年ポルトガル船が豊後神宮寺浦に漂着した時、大友宗麟(1530-1587)にカボチャなどの種を伝えた。宗麟は、これらを播いて栽培した。天正(1573-1592)年間には長崎でも栽培。
延宝(1673-1681)・天和(1681-1684)年間に京都に入り、明和(1764-1772)年間江戸に入る。天保(1830-1844)飢饉以来救荒作物として急速に広まった。
第二次世界大戦中・戦後の食糧難時代にも、空地で栽培され、飢えを救った。
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熱帯アジアでは、普通栽培するものはニホンカボチャ。 |
誌 |
果実を蔬菜とし、煮物・汁の実・漬物などにして食う。
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中国では、種子を白瓜子(ハクカシ,báiguāzĭ)・南瓜子(ナンカシ,nánguāzĭ)・倭瓜子(ワカシ, woōuāzĭ)と呼び、日干しにするか炒るかして、食用に、また薬用に供する。 『全国中草葯匯編』上/581-582
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日本では、保存が利くので、冬至に食べる習慣がある。 |
金と赤との南瓜(ぼうぶら)のふたつ転がる板の間に、
「共同医館」の板の間に、
ひとり坐りし留守番のその媼(おうな)こそさみしけれ。・・・
北原白秋「糸車」(『思ひ出』1911)より
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