辨 |
シノブ科 Davalliaceae(骨碎補 gŭsuìbŭ 科)には、シノブ属 1属を認める(米倉)。
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シノブ屬 Davallia(骨碎補 gŭsuìbŭ 屬)には、旧世界の熱帯~温帯に約110種がある。
incl. Araiostegia, Araiostegiella, Davallodes, Humata, Pachypleuria,
Paradavallodes, Wibelia
アリサンキクシノブ D. chrysanthemifolia(Humata chrysanthemifolia, H.macrostegia)
シマキクシノブ D. cumingii(Humata trifoliata, Pachypleuria vestita,
P.trifoliata;鱗葉陰石蕨・熱帶陰石蕨)
D. denticulata(假脈骨碎補)
タカサゴシノブ D. formosana(Araiostegia divaricata var.formosana,
Wibelia formosana;大葉骨碎補)
カワリバキクシノブ D. heterophylla(Humata heterophylla)
シノブ D. mariesii(骨碎補・海州骨碎補)
D. orientalis(大葉骨碎補)
クジャクシノブ D. pallida
チャボシノブ D. parvula(Humata parvula)
クシバシノブ D. pectinata(Humata pectinata;馬來陰石蕨)
クロネカズラ D. pentaphylla
ホソバシノブ D. perdurans(Araiostegia parvipinnula, Araiostegiella perdurans,
Araiostegia perdurans;臺灣小膜蓋蕨・鱗軸小膜蓋蕨)
キクシノブ D. repens(Pachypleuria repens, Humata repens;陰石蕨)
D. sinensis(中國骨碎補)
アツバシノブ D. solida(D.subsolida;闊葉骨碎補)
キレザケシノブ D. stenolepis(臺灣骨碎補)
ホラゴケシノブ D. trichomanoides(骨碎補)
トキワシノブ D. tyermannii(Humata tyermannii;蓋陰石蕨・白毛蛇)
『全國中草藥匯編 上』pp.280-281
ネッタイキクシノブ D. vestita(Humata vestita)
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シダ植物については、しだを見よ。 |
訓 |
「和名 忍草ハ、此草土無クシテ生ズル故、堪ヘ忍ブノ義ニテ斯ク云フト謂ヘリ」(『牧野日本植物圖鑑』)。つまり「忍ぶ(上二段活用)」意で、人を「偲ぶ(五段活用)」意ではない。 |
説 |
北海道・本州・四国・九州・琉球・朝鮮・臺灣・江蘇・山東・遼寧に分布。
木や岩の上に着生する。 |
誌 |
忍玉(吊忍)にし、軒下などに吊して観賞する。 |
中国では、シダ植物のうち次のものの根茎を骨碎補(コツサイホ,gŭsuìbŭ)と呼び薬用にする(〇印は正品)。 『全国中草葯匯編』上/601-602
シノブ Davallia mariesii(骨碎補・海州骨碎補)
Davallia orientalis(大葉骨碎補)
〇Drynaria baronii(D.sinica;中華槲蕨)
Drynaria bonii(秦嶺槲蕨・團葉槲蕨)
Drynaria coronans(Pseudodrynaria coronans, D.essquirolii;崖薑)
Drynaria propinqua(石蓮薑槲蕨・近隣槲蕨)
Drynaria quercifolia(櫟葉槲蕨)
〇ハカマウラボシ Drynaria roosii(D.fortunei;槲蕨)
Microsorum cuspidatum(Phymatosorus cuspidatus, Phymatodes lucide;
光亮瘤蕨・光亮密網蕨)
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日本の古典文学に「しのぶ草」というものは、
(1) シノブ
(2) ノキシノブ
(3) カンゾウ
のいずれかであると言う。
また、「ことなし草」とは「しのぶ草」のことであるといい、「わすれ草」は「しのぶ草」と同じものの別名であるという。 |
「ことなし(事成?)草」は、通説では「しのぶ草」。
つまにおふる ことなしぐさを 見るからに たのむ心ぞ かずまさりける
(源庶明「人のもとにはじめてふみつかはしたりけるに、
返事はなくて、たゞかみをひきむすびてかへしたりければ」、『後撰集』)
ただし、『枕草紙』第66段は二者を区別する。 |
「しのぶぐさ」とカンゾウの関係について。
『伊勢物語』第100段に、「忍ぶ(偲ぶ)」と「忘る」という反対語を名に持つ草を用いて、
むかし、おとこ、後涼殿(こうらうでん)のはさまをわた(渡)りけれは、あるやむことなき人の御つほね(局)より、「わす(忘)れくさ(草)をしの(忍)ふくさ(草)とやい(言)ふ」とて、い(出)ださせたまへりけれは、たまはりて、
忘草お(生)ふるのへ(野邊)とは見るらめと
こはしの(忍)ふなり のち(後)もたの(頼)まん
(ワスレグサはカンゾウの和名。この女性は、シノブとカンゾウと、どちらをさしだして問いかけたのだろうか。)
同じ話を、『大和物語』第162段では、
又、ざい(在)中將(在原業平)、内にさぶらふに、宮すん所の御かた(方)よりわすれぐさ(忘れ草)をなむ「これはなに(何)とかいふ」とてたまへりければ、中將、
わすれぐさお(生)ふるのべ(野邊)とはみるらめど
こはしのぶなりのち(後)もたのまむ
となむありける。おな(同)じくさ(草)をしのぶぐさ、わすれぐさといへば、それよりなむよみたりける。
(最後につけくわえられた注記は、著者の誤解であろうが、これより後 しのぶぐさはカンゾウの別名の一となった。) |
『八代集』等に、
ひとりのみ ながめふるやの つまなれば 人を忍ぶの 草ぞおひける
(貞登、『古今集』)
・・・わがやどの しのぶぐさお(生)ふる いたま(板間)あら(荒)み
ふるはるさめ(春雨)の も(漏)りやしぬらん (紀貫之、『古今集』)
君しのぶ 草にやつるゝ ふるさとは 松虫のねぞ かなしかりける
(よみ人しらず、『古今集』)
山たかみ つねにあらしの ふくさと(里)は にほひもあへず 花ぞちりける
( 紀利貞、『古今集』物名「しのぶぐさ」)
ももしきや 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり
(順徳天皇,1197-1242、『続後撰集』『百人一首』)
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紫式部『源氏物語』夕顔に、「(明け方、源氏は夕顔を伴って車に乗り)、そのわたり近きなにがしの院におはしまし着きて、あづかり(管理人)召し出づる程、荒れたる門(かど)の忍ぶ草繁りて見上げられたる、たとしへなく木(こ)ぐらし。霧も深く露けきに簾垂(すだれ)をさへ上げ給へば、御袖もいたく濡れにけり」と。 |
「しのぶもじずり」について。
『古今和歌集』巻14に、
みちのくのしのぶもぢずり たれゆゑに みだれんと思ふ 我ならなくに
(源融,822-895。『伊勢物語』・『小倉百人一首』では
「陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに みだれそめにし 我ならなくに」)
とうたわれる、「しのぶもぢずり」とは何かについて二説ある(『日本文学大系 伊勢物語』補注)。
一に、福島県信夫(しのぶ)郡に産した摺り染めとする。中世以来ある説で、もぢずりは「戻摺り」であり、髪を乱したように摺ったもの、または紋を縦横となく捩って摺ったものなどという。
後には、信夫郡の字忍の地(岡山村大字山口)に「もぢずり石」が作られた。 |
あくれば、しのぶもぢ摺の石を尋て、忍ぶのさとに行。遥山陰の小里に、石半土に埋てあり。里の童部の来りて教ける、昔は此山の上に侍りしを、往来の人の麦草を荒して此石を試侍るをにくみて、此谷につき落せば、石の面下ざまにふしたり、と云。さもあるべきことにや。 |
早苗とる手もとや昔しのぶ摺 |
芭蕉『奥の細道』(1689) |
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一に、賀茂真淵の説として、忍草という植物で摺ったものという。ここにいう忍草は、シダの仲間のシノブではなく、垣衣と書き、垣根や屋根や石の上に寄生する植物だという。 |
なお、こんにちモジズリと呼ぶ草は、「しのぶもぢずり」とは関係がない。 |