しのぶ (忍)

学名  Davallia mariesii
日本名  シノブ
科名(日本名)  シノブ科
  日本語別名  シノブグサ(忍草)、コトナシグサ
漢名  骨碎補(コツサイホ,gŭsuìbŭ)
科名(漢名)  骨碎補(コツサイホ,gŭsuìbŭ)科
  漢語別名  海州骨碎補
英名  Ball fern, Hare's-foot fern
2023/04/01 小石川植物園 
2023/04/23 同上 
2007/06/19 同上

2008/06/06 名古屋東山植物園

   シノブ科 Davalliaceae(骨碎補 gŭsuìbŭ 科)には、シノブ属 1属を認める(米倉)。
 シノブ屬 Davallia(骨碎補 gŭsuìbŭ 屬)には、旧世界の熱帯~温帯に約110種がある。
      incl. Araiostegia, Araiostegiella, Davallodes, Humata, Pachypleuria,
         Paradavallodes, Wibelia

  アリサンキクシノブ D. chrysanthemifolia(Humata chrysanthemifolia, H.macrostegia)
  シマキクシノブ D. cumingii(Humata trifoliata, Pachypleuria vestita,
         P.trifoliata;鱗葉陰石蕨・熱帶陰石蕨)
  D. denticulata(假脈骨碎補)
  タカサゴシノブ D. formosana(Araiostegia divaricata var.formosana,
         Wibelia formosana;大葉骨碎補)
  カワリバキクシノブ D. heterophylla(Humata heterophylla)
  シノブ D. mariesii(骨碎補・海州骨碎補)
  D. orientalis(大葉骨碎補)
  クジャクシノブ D. pallida
  チャボシノブ D. parvula(Humata parvula)
  クシバシノブ D. pectinata(Humata pectinata;馬來陰石蕨)
  クロネカズラ D. pentaphylla
  ホソバシノブ D. perdurans(Araiostegia parvipinnula, Araiostegiella perdurans,
         Araiostegia perdurans;臺灣小膜蓋蕨・鱗軸小膜蓋蕨)
  キクシノブ D. repens(Pachypleuria repens, Humata repens;陰石蕨)
  D. sinensis(中國骨碎補)
  アツバシノブ D. solida(D.subsolida;闊葉骨碎補)
  キレザケシノブ D. stenolepis(臺灣骨碎補)
  ホラゴケシノブ D. trichomanoides(骨碎補)
  トキワシノブ D. tyermannii(Humata tyermannii)
  ネッタイキクシノブ D. vestita(Humata vestita)
   
 シダ植物については、しだを見よ。
 「和名 忍草ハ、此草土無クシテ生ズル故、堪ヘ忍ブノ義ニテ斯ク云フト謂ヘリ」(『牧野日本植物圖鑑』)。つまり「忍ぶ(上二段活用)」意で、人を「偲ぶ(五段活用)」意ではない。
 北海道・本州・四国・九州・琉球・朝鮮・臺灣・江蘇・山東・遼寧に分布。
 木や岩の上に着生する。
 忍玉(吊忍)にし、軒下などに吊して観賞する。
 日本の古典文学に「しのぶ草」というものは、
  (1) シノブ
  (2) ノキシノブ
  (3) カンゾウ
のいずれかであると言う。

 また、「ことなし草」とは「しのぶ草」のことであるといい、「わすれ草」は「しのぶ草」と同じものの別名であるという。
 「ことなし(事成?)草」は、通説では「しのぶ草」。

   つまにおふる ことなしぐさを 見るからに たのむ心ぞ かずまさりける
     
(源庶明「人のもとにはじめてふみつかはしたりけるに、
         返事はなくて、たゞかみをひきむすびてかへしたりければ」、『後撰集』)

 ただし、『枕草紙』第66段は二者を区別する。
 「しのぶぐさ」とカンゾウの関係について。

 『伊勢物語』第100段に、「忍ぶ
(偲ぶ)」と「忘る」という反対語を名に持つ草を用いて、
 むかし、おとこ、後涼殿(こうらうでん)のはさまをわた(渡)りけれは、あるやむことなき人の御つほね(局)より、「わす(忘)れくさ(草)をしの(忍)ふくさ(草)とやい(言)ふ」とて、い(出)ださせたまへりけれは、たまはりて、
   忘草お(生)ふるのへ(野邊)とは見るらめと
      こはしの(忍)ふなり のち(後)もたの(頼)まん
 
(ワスレグサはカンゾウの和名。この女性は、シノブとカンゾウと、どちらをさしだして問いかけたのだろうか。)

 同じ話を、『大和物語』第162段では、
 又、ざい(在)中將(在原業平)、内にさぶらふに、宮すん所の御かた(方)よりわすれぐさ(忘れ草)をなむ「これはなに(何)とかいふ」とてたまへりければ、中將、
   わすれぐさお
(生)ふるのべ(野邊)とはみるらめど
      こはしのぶなりのち
(後)もたのまむ
となむありける。おな
(同)じくさ(草)をしのぶぐさ、わすれぐさといへば、それよりなむよみたりける。
 (最後につけくわえられた注記は、著者の誤解であろうが、これより後 しのぶぐさはカンゾウの別名の一となった。) 
 『八代集』等に、

  ひとりのみ ながめふるやの つまなれば 人を忍ぶの 草ぞおひける
     
   (貞登、『古今集』)
  ・・・わがやどの しのぶぐさお(生)ふる いたま(板間)あら(荒)
      ふるはるさめ
(春雨)の も(漏)りやしぬらん (紀貫之、『古今集』)
  君しのぶ 草にやつるゝ ふるさとは 松虫のねぞ かなしかりける
      
(よみ人しらず、『古今集』)
  山たかみ つねにあらしの ふくさと
(里)は にほひもあへず 花ぞちりける
      
( 紀利貞、『古今集』物名「しのぶぐさ」)

  ももしきや 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり
      
(順徳天皇,1197-1242、『続後撰集』『百人一首』)
 
 紫式部『源氏物語』夕顔に、「(明け方、源氏は夕顔を伴って車に乗り)、そのわたり近きなにがしの院におはしまし着きて、あづかり(管理人)召し出づる程、荒れたる門(かど)の忍ぶ草繁りて見上げられたる、たとしへなく木(こ)ぐらし。霧も深く露けきに簾垂(すだれ)をさへ上げ給へば、御袖もいたく濡れにけり」と。
 「しのぶもじずり」について

 『古今和歌集』巻14に、

   みちのくのしのぶもぢずり たれゆゑに みだれんと思ふ 我ならなくに
     
(源融,822-895。『伊勢物語』・『小倉百人一首』では
       
「陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに みだれそめにし 我ならなくに」)

とうたわれる、「しのぶもぢずり」とは何かについて二説ある(『日本文学大系 伊勢物語』補注)
 一に、福島県信夫(しのぶ)郡に産した摺り染めとする。中世以来ある説で、もぢずりは「戻摺り」であり、髪を乱したように摺ったもの、または紋を縦横となく捩って摺ったものなどという。
 後には、信夫郡の字忍の地(岡山村大字山口)に「もぢずり石」が作られた。

 あくれば、しのぶもぢ摺の石を尋て、忍ぶのさとに行。遥山陰の小里に、石半土に埋てあり。里の童部の来りて教ける、昔は此山の上に侍りしを、往来の人の麦草を荒して此石を試侍るをにくみて、此谷につき落せば、石の面下ざまにふしたり、と云。さもあるべきことにや。
  早苗とる手もとや昔しのぶ摺
芭蕉『奥の細道』(1689)

 一に、賀茂真淵の説として、忍草という植物で摺ったものという。ここにいう忍草は、シダの仲間のシノブではなく、垣衣と書き、垣根や屋根や石の上に寄生する植物だという。
 なお、こんにちモジズリと呼ぶ草は、「しのぶもぢずり」とは関係がない。


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