辨 |
変種としてアンナンウルシ(トンキンウルシ) var. dumoutieri を認めることがある。漆液を採取するために東南アジアで栽培する。 |
ウルシ属 Toxicodendron(漆樹 qīshù 屬)については、ウルシ属を見よ。 |
訓 |
古代の日本でハゼ・ハジ・ハニシと呼ばれていた植物は、国産のヤマハゼ Toxicodebdron sylvestre (Rhus sylvestris)。
ハゼノキ Toxicodendron succedaneum(Rhus succedanea)は 室町時代に日本に入り、蝋を取るために広く一般に栽培した。初め 在来種に対してリュウキュウハゼ・トウハゼなどと呼んだが、やがてこちらをハゼ・ハゼノキと呼ぶようになり、在来種は利用が減ったため ヤマハゼと呼び、両者を区別した。 |
源順『倭名類聚抄』(ca.934)黄櫨に「和名波迩之」と。 |
上記のように、日本ではハゼノキの漢字表記を黄櫨(おうろ)にあてて今日に至るが、漢名を黃櫨(コウロ,huánglú)というものはハグマノキである。
|
説 |
臺灣・河北・華東・兩廣・四川・貴州・雲南・インドシナ半島・マレーシア・ヒマラヤに分布。
今日の日本では、栽培品が野生化し、関東以西に広く自生する。
|
雌雄異株。 |
誌 |
中国では、根・葉・樹皮・果を 薬用にする。また、ヤマハゼ R. sylvestris (木蠟樹)も 同様に用いる。 |
古代日本では、ヤマハゼの材を弓を作るのに用いた。『古事記』巻上、天孫降臨の条に、
・・・故爾に天忍日命(あめのおしひのみこと)・天津久米命(あまつくめのみこと)の二人、天の石靫(いはゆぎ)を取り負い、頭椎(くぶつち)の大刀(たち)を取り佩(は)き、天の波士(はじ)弓を取り持ち、天の真鹿児(まかこ)矢を手挟み、御前(みさき)に立ちて仕へ奉りき。・・・ |
同じ場面、『日本書紀』巻2・第9段一書第4には、「天梔弓(あまのはじゆみ)」とあり、註に「梔、此をば波茸(はじ)と云ふ。音(こゑ)は之移の反(かへし)」とある。
『万葉集』には、
・・・はじゆみ(弓)を たにぎ(手握)りも(持)たし
まかごや(真鹿児屋)を たばさ(手挟)みそ(添)へて・・・ (20/4465,大伴家持)
|
西行(1118-1190)『山家集』に、
山ふかみ まど(窓)のつれづれ と(訪)ふものは いろづきそむる はじのたちえだ(立枝)
『新古今集』に、
鶉なくかた野にたてるはじ紅葉ちりぬばかりに秋風ぞ吹く (藤原親隆)
|
漢土では、歴史的には ハゼノキとヤマハゼとを区別せず、いずれも野漆樹・木蠟樹と呼び、古くから木蠟を採取してきた。
ハゼノキ(黄櫖)から作る蝋と製法は、琉球を経由して、室町時代に日本に伝えられた。
日本では、17世紀以降各地でさかんに栽培し、和蠟燭・着物の艶出しなどに用い、今日に至る。 |