あんず (杏子)
学名  Prunus armeniaca (P.armeniaca var.ansu, P.ansu, Armeniaca vulgaris var.ansu, A.vulgaris)
日本名  アンズ
科名(日本名)  バラ科
  日本語別名  カラモモ
漢名  杏(キョウ,xìng)
科名(漢名)  薔薇(ショウビ,qiángwēi)科
  漢語別名  杏子(キョウシ,xìngzi)
英名  Apricot

2023/03/16 薬用植物園 

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      2008/03/23 同上

2005/03/31跡見学園女子大学 新座キャンパス
2008/03/21 同上

2006/04/16 薬用植物園 2007/05/03 薬用植物園

2005/06/18 跡見学園女子大学新座キャンパス

 Prunus armeriaca に、次の二変種を区別する。

  ホンアンズ var. typica(Armeriaca vulgaris var. vulgaris;杏)
  アンズ var. ansu(Armeriaca vulgaris var. ansu, P.ansu, A.ansu;
         野杏・山杏・苦杏仁)『中国本草図録』Ⅳ/1671 
    
 スモモ属 Prunus(李 lĭ 屬)については、スモモ属を見よ。
 深江輔仁『本草和名』(ca.918)杏、及び源順『倭名類聚抄』(ca.934)杏子に、「和名加良毛々」と。
 小野蘭山『本草綱目啓蒙』25
(1806)に、「カラモゝ和名鈔 アンヅ」「古名カラモゝ、今カラモゝト呼モノハ壽星桃ナリ、今はアンズト云、即唐音杏子ノ転ナリ」と。
 ホンアンズ P. armeniaca var. typica(杏)は、漢土原産、古くから栽培される。
 アンズ var. anzu(山杏)は、漢土北部原産、河北・山西には普通に野生する。果肉は薄く繊維が多くて食えず、種子(苦杏仁)は苦い。今日では、ほぼ淮河を境にして それより南にはウメが、北にはアンズが 分布する。
 昔の中国人は、ウメとアンズの区別がつかなかったが、賈思勰は「按ずるに、梅は 花 早くして白く、杏は 花 晩くして紅し。梅は 実 小にして酸く、核 細文有り。杏は 実 大にして甜く、核 文采無し。白梅は食及び齏を調うるに任うも、杏は則ち此の用に任えず。世人或いは辨つこと能わず、言いて梅・杏 一物と為すは、之を失うこと遠きなり」と看破した(『斉民要術』4 種梅杏)
 ヨーロッパには、1世紀頃伝わる。
 日本への渡来期は不詳。平安時代にはカラモモと呼ばれ、杏仁を薬用にし、栽培していたという。
 果実を生食し、また加工して食用にする。
 中国では、
   ホンアンズ Prunus armeniaca(杏)
   アンズ P. armeniaca var. ansu(山杏)
   モウコアンズ P. sibirica(Armeniaca
sibirica;西伯利亞杏)
   マンシュウアンズ P. mandshurica(A.mandschurica;東北杏・遼杏)
の種子を、杏仁(キョウジン,xìngrén,
きょうにん・あんにん)と呼び、薬用・食用にする。『中薬志Ⅱ』pp.235-241
 苦味のあるものを杏仁(苦杏仁)と呼んで薬用に、苦味の無いものを甜杏仁(甘杏仁)と呼んで食用にする。

 日本では、生薬キョウニン(杏仁)は ホンアンズ、アンズ又はモウコアンズの種子である(第十八改正日本薬局方)。
 『大戴礼』「夏小正」正月に「梅・杏・杝桃(いたう)、則ち華さく。杝桃は山桃なり」と、また四月に「囿(いう)に杏を見る有り。〔囿とは山の燕なる者なり。〕」と。
 『礼記』「内則」に、周代の君主の日常の食物の一として栗を記す。
 唐代、都 長安の東南隅には、曲江池に並んで杏園があった。春三月、天子はここで科挙合格者に対して盛大な宴を賜った。宴が終ると、科挙合格者たちは慈恩寺の大雁塔に行き、その壁に自分の名を題するのを例とした。

   曲江院裏 名を題せし処
   十九人中 最も少年
   今日の風光 君見ず
   杏花零落す 寺門の前
    
(張籍「哭孟寂」) 
 白居易「遊趙村杏花」に、

   趙村の紅杏 毎年開く
   十五年来 看ること幾迴
   七十三の人 再び到り難し
   今春来るは是れ 花に別れに来る
 
 日本では、

   あふからも ものはなをこそ かなしけれ わかれむ事を かねて思へば
     
(清原深養父、『古今和歌集』物名「からもゝの花」)
 
 『花壇地錦抄』(1695)巻二「桃のるひ」に、「からもゝ 白、小りん。もゝちいさし」と。
 
「生なる杏を干しさらして菓子によし。又杏仁は薬に入れ、粥にし又炒りてすりくだきあへ物のかうばしにしてよし(又よく熟したるを、手ひきがんの熱湯に入れ、しばらく置きて取り出だし、砂糖一斤に杏十四五廿ほどつけ、十四五日過ぎて菓子に用ゆべし。甚だ味よし。又上焼酒一斗によく熟したる杏子百二十或は百ばかり入れ置き、五六十日過ぎて用ゆ。其味はなはだめづらし)」(宮崎安貞『農業全書』1697)。
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