瀧の城址公園、所沢市立 

地番  埼玉県所沢市城
設置者  所沢市
交通手段  西武バス・志木所沢東口線・城バス停―徒歩2分
  (跡見学園女子大学新座キャンパスより約10分)

 所沢市城にある古い城跡を中心として作られた公園。
 柳瀬川北西岸の河岸段丘上に位置し、城址は66,000uの広さを持つ。発掘調査の結果、本丸をはじめ3つの郭
(くるわ)址、物見櫓(ものみやぐら)址、空掘りなどが確認されている。

郭址 空堀址

 本丸址には、いまは城山神社が建つ。

本丸址よりの眺望。
(目の下を走る電車はJR武蔵野線、
その鉄橋の下を流れる川は柳瀬川)
武蔵野線の車窓から見た城跡
(上のほうに城山神社が見える。)
 この城を瀧の城(たきのじょう)と呼ぶのは、遺跡の東端に、河岸段丘の崖を利用し、大きな岩を組んだ「瀧」がデザインされていることから。










 ここに最初に城を築いたのは、戦国時代の武将大石氏だったのであろうという。大石氏は、鎌倉管領山内上杉家の家臣で、多摩地方を本拠として、柳瀬川流域を勢力化におさめていた。
 天文15年(1546)、小田原に拠った北条氏康が関東に覇を唱えると、この地域も弘治3年(1557)ころ、氏康の弟北条氏照(?-1590)の支配下に入った。
 天正18年(1590)、豊臣秀吉が北条氏を破り、徳川家康が江戸に入城するとともに、この地も家康領となった。江戸時代初期には旗本貴志氏の知行とされたが、元禄年間(1688-1704)には天領となった。
 そののち、ここからは城が失われ、農村としての城村が存続した。


 かつての城址は、今では雑木林に覆われ、四季折々の風情を楽しませてくれる。


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