じゅんさい (蓴菜) 

学名  Brasenia schreberi (=B. purpurea)
日本名  ジュンサイ 
科名(日本名)  ハゴロモモ科(ジュンサイ科)、又はスイレン科
  日本語別名  ヌナワ(沼縄)、ネヌナワ(根沼縄)
漢名  蓴菜(蒓菜,ジュンサイ,chuncai)
科名(漢名)  睡蓮(スイレン,shuilian)科
  漢語別名  蓴、馬蹄草(バテイソウ,maticao)、水葵(スイキ,shuikui)、露葵(ロキ,lukui)
英名  Water-shield
2007/04/19 薬用植物園 2007/05/10 同左

2007/06/20 同上


 ジュンサイ属 Brasenia(蓴屬)は、1属1種。
  ジュンサイ B. schreberi(B. purpurea;蓴菜)
 ハゴロモモ科(ジュンサイ科) Cabombaceae については、ハゴロモモ科を見よ。
 スイレン科 Nymphaeaceae(睡蓮科)については、スイレン科を見よ。
 和名は、漢名蓴菜の音。現代中国名の蒓菜は、蓴菜の簡体字。
 深江輔仁『本草和名』(ca.918)蓴に、「和名奴奈波」と。
 源順『倭名類聚抄』
(ca.934)蓴に、「和名沼奈波」と。
 小野蘭山『本草綱目啓蒙』15(1806)蓴に、「ヌナハ
沼ニ生シテ縄ノ如キノ意 ウキヌナハ古歌、春 ネヌナハ同上、秋 ジユンサイ トチカツミ彦根」と。
 広く世界の温帯に分布。
 埼玉県では絶滅。
 中国・日本では栽培されている。
 嫩葉・嫩茎は粘質物に覆われ、これを食用にする。
 『古事記』『日本書紀』に、応神天皇(5c.初)の歌として、

   蓴
(ぬなは)繰り 延(は)へけく知らに・・・
 

   吾が情
(こころ) ゆたにたゆたに 浮蓴(うきぬなは)
     辺
(へ)にも奥(おき)にも依りかつましじ (万葉7/1352,読人知らず)
 

   かくれぬの したよりおふる ねぬなはの ねぬなはたてじ くるないとひそ
     
(壬生忠峯、『古今和歌集』)
 

 増基『いほぬし』(947-957頃)に、ぬなはのながきを人のもてまうできたるをみて。  我ならはいけといひても浮ぬなは遙にくるはまつ留てまし」と。

 「其茎氷のごとくなる物つき白くしていさぎよし。茹(ゆびきもの)となし、すみそにて食ふべし。又はすひ物、ひたし物とす」(宮崎安貞『農業全書』1697)。

   ぬなは生ふ池の水
(み)かさや春の雨 (蕪村,1716-1783)

   採蓴
(さいじゅん)を諷(うた)ふ彦根の傖夫(そうふ)哉 (蕪村,1716-1783)
 

   手をにぎりてかたみに憎み蓴菜
(じゅんさい)の銀の水泥(みどろ)を見つめつるかな
     
(北原白秋『桐の花』1913)

   湯どころに二夜(ふたよ)ねむりて蓴菜(じゆんさい)を食へばさらさらに悲しみにけり
     (斎藤茂吉「死にたまふ母」(1913)より。『赤光』所収) 
 
 「じゅんさいというものは、古池に生ずる一種の藻草の新芽である。その新芽がちょうど蓮の巻葉のように細く巻かれた、ようよう長さ五分くらいのものを賞玩するのである。その針のように細く巻かれた萌芽を擁護しているものが、無色透明の、弾力のある、ところてんのような、卵の白身のような付着物である。
 それはその芽の生長をば小魚などに突っつかれて傷つかないように護る一種の被衣
(かつぎ)である。
 これを水中で見ると、そのかわいい芽が水色の胞衣に包まれている。それは造化の神の教えによって分泌する粘液体である。このぬめぬめの粘液体が厚くじゅんさいの新芽に付着しているために、じゅんさいは美食としての価値がある。この粘液体がなかったら、じゅんさいは別段に美味いものではない。だから、この価値は粘液体の量の多少によって決まる。ところが池沼によって、このところてん袋が非常に多く付着するものと少ないものとある。
 中国の西湖のじゅんさいの如きは、やかましい湖の名とともに名物となっているが、実際は決して佳品ではなく、葉も大きくて、ところてん袋がほとんどゼロで、到底日本の良品に比すべくもない駄品である。
 しかし、日本にも良種ばかりでない。概して西湖産に似たものが多く、よく食料品屋などに壜詰になっているのを見ると、壜の中には、半ば拡がった葉が一杯になっている。それはあたかも茶殻を詰めたようなものだ。
 そこで、どこのじゅんさいがいちばんよいかと言うと、京の洛北深泥池
(みぞろがいけ)の産が飛切りである。これは特別な優品で、他に類例を見ないくらい無色透明なところてん袋が多く付着している。この深泥池のものを壜に詰めて見ると、玉露のような針状態の細い葉が、その軸の元に小さな蕾をつけて、点々と水にまざって浮いているように見える。
 眺めるものは正味のじゅんさいが少なくて、水中に浮遊しているようではあるが、壜中、水に見えるものが、すなわち粘液体であって、出して見ると海月
(くらげ)の幼児の群れのようにぬめるが、水分はほとんどないと言ってよいくらいである。そういうものでなくては、ほんとうに美味いものではない。自分の知っている限り、深泥池に産するようなものは余所(よそ)にはないようだ。」(北大路魯山人『魯山人味道』「洛北深泥池の蓴菜」1932)
 諺に「蓴菜で鰻(うなぎ)を繋ぐ」とは、不可能なこと、ばかばかしいことのたとえ。「瓢箪(ひょうたん)で鯰(なまず)を押える」と同意(平野雅章『食物ことわざ事典』1978)

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