かきつばた
 

学名  Iris laevigata
日本名  カキツバタ
科名(日本名)  アヤメ科
  日本語別名  カオバナ、カオヨバナ(貌好花)、フデバナ(筆花)、カキツ
漢名  燕子花(エンシカ, yànzĭhuā)
科名(漢名)  鳶尾(エンビ,yuānwĕi)科
  漢語別名  光葉鳶尾、平時鳶尾、老君扇(ロウクンセン,laojunshan)
英名  
2005/05/22  国分寺市西恋ヶ窪1丁目
2004/05/09  国分寺市恋ヶ窪

 ノハナショウブと近縁で、花の色・形がよく似ている。ただし、花期が早く(カキツバタは4-5月、ノハナショウブは6-7月)、外花被片の基部の紋様が白色(ノハナショウブのそれは黄色)
 アヤメ属 Iris(鳶尾 yuānwĕi 屬)の植物については、アヤメ属を見よ。
 「和名ハ書き附け花ノ意ニシテ其轉化ナリ、書き附けハ擦り着クルニテ、其花汁ヲ以テ布ヲ擦リ染ムル事ナリ、昔ハ此ノ如キ事行ハレシナリ」(『牧野日本植物図鑑』)。
 ほかに、「垣津花」説、「かっこばな」説
(カッコウが鳴く頃に花を開くことから)などがある。
 日本で、カキツバタに杜若を当てるのは誤り。漢名の杜若(トジャク,dùruò)は、ショウガ科ヤブミョウガ属 Pollia(杜若屬)の植物、就中ヤブミョウガを指す。
 燕子花(エンシカ,yànzĭhuā)の名は、『漳州府志』に見えるという(『植物學大辞典』商務印書館,1918)が、筆者(嶋田)は未検。
 深江輔仁『本草和名』(ca.918)に、蠡實は「和名加岐都波太」と、由跋は「和名加岐都波奈」と。
 源順『倭名類聚抄』
(ca.934)に、劇草は「和名加木豆波太」と。ただし、蠡實・劇草はネジアヤメであり、誤り。
 北海道・本州(近畿以北)・朝鮮・遼寧・吉林・黑龍江・雲南・極東ロシア・シベリア東部に分布。
 全国では絶滅危惧Ⅱ類(VU)、東京・神奈川では現状不明、埼玉では絶滅危惧ⅠB類(EN)。
 中国では、全草を薬用にする(『中国本草図録』Ⅸ/4432)
 古くは『万葉集』にすでに見え、花を衣に摺りつけて紫の染料としたことが知られる(ここから、かきつけばな語源説が出た)。

   常ならぬ 人国山の 秋津野の かきつはたをし 夢に見むかも
     
(7/1345,読人知らず)
   かきつはた 開
(さ)く沼(ぬ)の菅を 笠に縫ひ 着む日を待つに 年そ経にける
     
(11/2818,読人知らず)
   かきつはた 開く沢に生ふる 菅の根の 絶ゆとや君が 見えぬこの頃
     
(12/3052,読人知らず)
   吾のみや かく恋ひすらむ かきつはた 丹
(に)つらふ妹は 如何にかあるらむ
     
(10/1986,読人知らず)
   かきつはた 丹
(に)つらふ君を 率爾(ゆくりなく) 思ひ出でつつ 嘆きつるかも
     
(11/2521,読人知らず)
   住吉の 浅沢小野の かきつはた 衣(きぬ)に摺り着け 衣
(き)む日知らずも
     
(7/1361,読人知らず)
   かきつはた 
衣にす(摺)りつけ ますらおの きそひ獦(かり)する 月はき(来)にけり
     
 (17/3921,大伴家持)
 
 平安時代には『伊勢物語』9段に、「むかし、おとこ」が「京にはあらじ」と「あづまの方に」旅に出て、「みかは(三河)のくに(國)、やつはし(八橋)といふ所にいた」った。「そこをやつはしといひけるは、水ゆく河のくもて(蜘蛛手)なれは、はしをや(八)つわたせるによりてなむ、やつはしとい」ったもの。「そのさは(澤)にかきつはたいとおもしろくさきたり。それを見て」「かきつはたといふいつもし(五文字)をく(句)のかみ(上)にすへて、たひ(旅)の心をよ(詠)」んで、

   から衣きつゝなれにしつましあれは はるはるき(來)ぬるたひ(旅)をしそ思
(ふ)

と歌った、とある。同じ物語と歌は、『古今集』巻9羈旅歌にも載る。
 この故事は、在原業平
(825-880)の風流の一こまとして後々までよく知られ、世阿弥(1363?-1443?)の謡曲『杜若(かきつばた)』に謡われ、尾形光琳(1658-1716)は「八橋図屏風」「燕子花図屏風」「八橋蒔絵硯箱」などを制作した。

 なお、この八橋は今日の愛知県知立市八橋町にあたり、八橋山無量寿寺の庭には業平池が作られている。 
 藤原孝標女『さらしな日記』(ca.1059)に、寛仁4年(1020)上京の途次に八橋を訪れたことを回想して「八はしはな(名)のみして。橋のかたもなく。なにの見所もなし」と。

 『海道記』
(1223)に、「かくて三河國にいたりぬ。雉鯉鮒(ちりふ。愛知県知立市)が馬場を過て。數里の野原に一兩のはしを名づけて八橋といふ。砂に睡る鴛鴦は夏を辭去り。水にたてる杜若は時をむかへて開たり。花はむかしの色かはらず咲ぬらむ。橋もおなじ橋なれども幾度つくりかへつらん。相如が世をうらみしは肥馬に乘て昇僊にかへり。幽子身を捨る。窮鳥に類て當橋を渡る。八橋よ八橋よ。くもでに物おもふ人は昔も過きや。橋柱よはしばしらよ。をのれも朽ぬるか。むなしく朽ぬるものは今もまたすぐ。
  すみわひて過る三河のやつ橋を心ゆきてもかちかへらはや」と。
なお作者は不詳、一説に源光行という。 

 『東関紀行』
(1242)に、「ゆきゆきて三河國八橋のわたりをみれば。在原業平かきつばたの歌よみたりけるに。みな人かれいゐのうへになみだおとしける所よとおもひ出られて。そのあたりをみれども。かの草とおぼしき物はなくて。いねのみぞおほくみゆる
  花ゆへにおちし涙のかたみとや稻葉の露を殘しをくらん
源義種が此國のかみにてくだりける時。とまりける女のもとにつかはしける歌に。「もろともにゆかぬ三河の八はしを戀しとのみや思ひわたらん」とよめりけるこそ。おもひ出られてあはれなれ」と。
なお本書の著者は鴨長明・源光行・源親行など諸説が行われているが、実際の作者は不詳。

 阿仏尼
(?-1283)『うたゝねの記』に、「みかはの國八はしといふところをみれば。これも昔にはあらずなりぬるにや。はしもたゞひとつぞみゆる。かきつばたおほかる所と聞しかども。あたりの草もみなかれたるころなればにや。それかとみゆる草木もなし。なりひらのあそんのはるばるきぬるとなげきけんも思ひ出らるれど。つましあればにや。さればさらんとすこしおかしくなりぬ」と。

 入道中納言雅康卿『富士歴覽記』
(1499)に、5月「十九日。八はしを見に。人々さそひまかりてみ侍れば。きゝをよびしよりかたちもなくあれはてゝ。かきつばたなども心うつくしくみえ侍らず。あはれなるこゝちしてよめる。
  かつらきの神は渡さぬ八橋もたえてかすなきくもて也けり
  かきりあれは思ひわたりしやつ橋を七十ちかき齡にそみる
  杜若みなからたえてむらさきの一もとのこる花たにもなし」と。
 
 『八代集』などに、

  紫に あふ水なれや 杜若 底の色さへ たがはざらなん
 (913『亭子院歌合』)
  いひそめし むかしのやどの かきつばた 色ばかりこそ かた見なりけれ
    
(良峯義方「藤原のかつみの命婦にすみ侍ける男、人のてにうつり侍にける
      
又の年、かきつばたにつけてかつもにつかはしける」、『後撰和歌集』)

 西行
(1118-1190)『山家集』に、

   ぬまみずに しげるまこもの わかれぬを さきへだてたる かきつばた哉
 
 『花壇地錦抄』(1695)巻四・五「草花 春之部」に、「四季杜若(かきつばた) 末。こいむらさき。四季に花さく」と。

   杜若語るも旅のひとつ哉 
(芭蕉,1644-1694)

   かきつばたべたりと鳶のたれてける 
(蕪村,1716-1783)
   今朝見れば白キも咲けり杜若 
(同)
 
 近代では、

   かきつばた男ならずばたをやかにひとり身投げて死なましものを
 (北原白秋『桐の花』1913)
 

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